日経 春秋(6/27)

 よくあるテンプレなコラムに過ぎないのだが、ふと執筆子を含め、サリバンについてあまり知らない人もいるかもしれないので、少しメモを。
 とウィキペディアを見ると「奇跡の人」について書いてある。
 ⇒アン・サリヴァン - Wikipedia

奇跡の人というのはヘレン・ケラーのことではなく、このアン・サリヴァンのことである。

 ついでに、も一つ、当たり前かもだが。
 ⇒ヘレン・ケラーとスウェーデンボルグ

 ヘレンはこの人から、スウェーデンボルグの『天国と地獄』という本を貰って読み、すっかりその思想に魅せられて、スウェーデンボルグの考え方をもっと研究したいと思い、ヒッツに頼んだ。ヒッツはヘレンの役に立ちそうなものを点字に打って、送ってくれた。
 ともあれヘレンは彼の宗教書にすっかり心酔してしまった。彼女は自分もまた霊的な体験を持ったと信じ、それをサリバンに語ったこともある。
 最初にスウェーデンボルグをヘレンに語ったヒッツは、ヘレンたちがレンサムに移ってからは、毎年の夏六週間をレンサムへ来ていっしょにすごした。朝露をふんで、かぐわしい匂いのする牧場ヘと、へレンをつれて何時間でも散歩した。ドイツ語をヘレンのてのひらにつづり、いつもスウェーデンボルグのことを語った。

 ちなみに⇒エマヌエル・スヴェーデンボリ - Wikipedia

三重苦の偉人、ヘレン・ケラーは「私にとってスヴェーデンボリの神学教義がない人生など考えられない。もしそれが可能であるとすれば、心臓がなくても生きていられる人間の肉体を想像する事ができよう。」と発言している。

日本においては、仏教学者、禅学者の鈴木大拙がスヴェーデンボリから影響を受け、明治42年から大正4年まで数年の間、スヴェーデンボリの主著「天国と地獄」などの主要な著作などを日本語に翻訳出版しているがその後はスウェーデンボルグに対して言及することは殆どなくなった。でも、彼の岩波書店の全集にはその全集の中核としてスヴェーデンボリの著作(日本語翻訳文)がしっかり入っている。

産経社説 【主張】社保庁賞与返納 国民感情はおさまらない

 問題は国民感情ではないのだがと苦笑しつつ読む。が、以下の思いは実際的には国民の思いだろう。そう誘導されている部分はあまりに大きいのだが。

 この社保庁が仮に民間企業だったらどうなるだろうか。ボーナス返納どころの事態では済まない。経営が行き詰まり、会社自体が存続しなくなる倒産の危機に直面する。株主に対する責任もある。給与カットは言うまでもないだろう。
 ただ、公務員の場合、法的に懲戒処分の対象とならない限り、減給はできない。それゆえ今回は、自主的返納となったという。
 社保庁問題の根っこには、労使の異常なまでの癒着がある。
 社保庁年金記録システムのオンライン化を導入するため、昭和54年ごろから、仕事を制限する非常識な覚書を自治労国費評議会(現・全国社会保険職員労働組合)といくつも結んできた。長官をはじめとする少数の厚労省キャリアは年金実務に疎いうえ、自らの出世を先に考え、この体質を改革しようとしなかった。
 こうした体質を改めるのが、職員を非公務員化して社保庁を解体する社保庁改革関連法案である。ぜひ、この法案を今国会で成立させ、社保庁を真に年金制度を支える組織に変えたい。

朝日社説 野球特待生―時代に合うルール作りを

 野球だけが問題じゃないのだというプロットなのだが、どうもおかしい印象が残る。他では問題になっていないように思えるからだ。また、この問題は実質的に朝日新聞は当事者に近い。そのあたりのスタンスからの声が聞こえない。ただ、私はこの分野に詳しくないのできちんと批判はできない。野球はプロレスやサーカスと同じく興行であってスポーツだとは思っていないし。

朝日社説 社保庁の賞与―民間なら返納では済まぬ

 おや、民主党のOB気分の朝日新聞自治労を叩くかも知れないネタに出たのは……と思って読み進むと案の定、北朝鮮関連と同じレトリックで、平身低頭してしかし擁護は強調するという話のようだ。

 なぜこんな過ちが生じたのか。政府は管理責任や労使関係にメスを入れて解明したうえで、どんな組織がいいのか、あるべき姿を検討するべきだ。
 それなのに政府・与党は、社保庁を六つに分割する改革法案について、28日にも参院の委員会で採決を強行する方向だ。順序が逆ではないか。
 「戦後レジームからの脱却」と叫び、やみくもに法案の成立を強行すれば、国民の年金不信はさらに高まる。参院選で手痛いしっぺ返しを受けるに違いない。

 分割は別の流れというか過去の不祥事などの対応としても出てきたものなので論理はおかしい。ただし、今回の採決がよいかどうかは朝日新聞のいうように異論はあるだろう。が、これもすでに覆せない流れのなかで言ってみても仮想の正義みたいなものにしかならない。社説としては、不祥事云々は廃止、なぜ強行採決がいけないのか、そのために今日どうすべきかだけを述べるべきだった。

猫猫先生、完全勝利!!

 釣りでもなんでもいいやぁ
 ⇒他山の石書評雑記(フリーライター小林拓矢のブログ) - おめでとう小谷野敦さん

 最新の『婦人公論』で、小谷野敦さんが過去の恋愛体験談を書いている。文章の終わりで、結婚したことを報告している。21歳下の女子大学院生で、ブログで出合ったとのこと。

 日本ブログ史に残る金字塔! (妻君は24歳か?)
 リンボの呻きどよめき賛美称賛⇒はてなブックマーク - 他山の石書評雑記(フリーライター小林拓矢のブログ) - 祝 小谷野敦さん結婚

ナイス・ツッコミというかなんというか

 弾さん、ナイス。
 ⇒404 Blog Not Found:無限は君が思っているほど大きいとは限らない

茂木は可能無限を以下のように定義している。

フューチャリスト宣言 p.156


最近のマイブームに、「可能無限」という概念があります。もともと数学用語で、自然数を1、2、3...と数えて行ったときに、どんな大きな数(n)を考えてみても、さらに大きな数(n+1)を、可能性としてどこまでも提示できるということ。可能無限は、「もう一つ増やす余地がある」という意味での「空白」によって常に支えられている。
「茂木センセ、それ、『可算無限(countable infinity)』のtypoでっか?」で片付かない問題が、ここには潜んでいる。なぜなら「あなたたちには無限の可能性があります」と大人が言う時には「無限の可能性があるのですから、あなたが望む未来もその中に含まれています」ということを行間で主張しているからだ。要はそれが本当かどうか、ということだ。

 ま、話はずれるんだけど。
 Countable infinityというのは、あれです、アレフ0。
 で、無限という点では、アレフ1、とかもある。つまり、濃度(Cardinal)ね。
 吉本隆明も遠山啓にこのあたりを教わって感心したとか言っていたが、カントールのこのあたりの基礎というのは、高校生くらいできちんと学んでおくと世界観は変わるというか、茂木先生みたいな発想はしなくなるとか、以下略。
 元の梅田さんの話についてはあえて触れない。
 
追記
 ああ、コーエンは今年死んでいたのかぁ⇒ポール・コーエン - Wikipedia
 可能無限については⇒数学屋のメガネ:実無限と可能無限

へぇ、法的にはそうなるのか、食肉偽装

 ⇒解説委員室ブログ:NHKブログ | 時論公論 | 時論公論 「食肉偽装はなぜ起こったか」

さて、残された問題は法律の整備です。現在のJAS法では、表示の責任は最終的な製造者が持つことになっていますから、問題を引き起こしたミートホープは罰されず、逆に北海道加ト吉や生協に、最高で罰則一億円が科される可能性があります。

 それはそれで法理としてよろしいような。

ポイントって民間のシニョリッジでねーの?

 これ読んでて思った⇒ポイントは絶対儲かる金の卵。囲い込みだけじゃない大人の事情 | Web担当者Forum
 ポイントって民間のシニョリッジでねーの?とかいう議論はどっかにあるんでしょうかね。読んだことないけど。