フォースよ、永遠なれ

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聞き書 宮沢喜一回顧録: 御厨 貴,中村 隆英

不良債権の問題を辿っていくと、どうしても、きっとプラザ合意のところに行くのだろうと思います。

 ⇒人間図書館 宮澤喜一

 さて、これは少し違う観点からですが、我々が戦後に経験したもう一つの忘れてはならないことは、プラザ合意だと思います、一九八五年(昭和六○)年の九月には一ドル=二四○円程度とドルが強すぎたので、日・米・英・独・仏(G5)の大蔵大臣がニューヨークに集まって、ドルを下げようという合意をしました。
 私が、「どのぐらい下げるつもりだったのか」と聞いてみても、みんな、確たる見当はないが二一○円ぐらいになればよいと思っていたのではないかと思います。しかし、実際には八五年の暮れには円が一九○円台に急騰しました。

 コンピューターの進歩で瞬間的に投機が可能となり、それにデリバティブが加わると、毎日、一兆ドル単位で取り引きするようになります。どこの国の大蔵大臣も、「為替レートはファンダメンタルズ(経済の基本条件)を反映している」と言いますが、相場がこう激しく動くと、それは大変に疑わしくなります。ファンダメンタスズがそう変わるわけはありませんからね。震災や不景気、政治が不安定と言われる日本の通貨が上がり、ニューヨーク市場で史上最高の株高をつけた好景気のアメリカの通貨が下がるわけを、きちんと説明できる人はいないでしょう。
 このようなことを、いつまでも放っておいてよいのかと思います。「投資はいいが、投機はいけません」などと私も大蔵大臣のときに言った憶えがありますが、通貨安定は二十一世紀までに何とかしなければならない課題の一つです。

 でも、どうにも、ならんかったし、そして……。