読売社説 [首相靖国参拝]「『心の問題』だけではすまない」

 読売も支離滅裂になってきたなと思う。読売なりの理念もあるのはそれはそれでよいのだが、まずは現状認識が大切。中韓の今回の動きは非常に抑制されていた。ポスト小泉の動きがあるのは当然として、日本国内の大衆の動向をよく見据えている。
 盧武鉉は制度的なものもあるがもはやレイムダック化は避けられない。基本的に支持政党の問題だがブッシュのレイムダック化とは違うだろう。中国は本音ではもう靖国問題に関わりたくない。江沢民ら上海グループの動向のほうが気がかりだろう。その意味で、北京側と日米の実務者レベルがどう可能な危機への枠組みを取るかなのだが、なにかとすべっているように見える。なんというか、中国様としても日本のシンパの操縦を間違ったかもしれないのだが、責任は取れないしお国柄一度口にした言葉は必ず呪いになる。
 中韓としても本音ではこういうシフトな以上、安倍の支持内部になんらかの拠点や機能を持ちたいところだし、そのあたりを動かしたいところなのだろう。

朝日社説 レバノン停戦 束の間に終わらせるな

 お馬鹿な反米ネタにしてない分一応識者が書いているように読めるが、シリアへの言及がない。ヒズボラ武装解除はこの問題の中心軸となる理念なのだが言及はない。まあ、現状ではむりかとも思う。
 参考⇒イザ!:ヒズボラの武装解除は難航必至 妥協案現実味乏しく-世界からニュース

 このため、ヒズボラ武装解除が盛り込まれた停戦決議を受諾したシニオラ首相は、ヒズボラとの間ではことを荒立てずに、イスラエルや国際社会からも「決議違反」と非難されない“解決策”を見つける必要に迫られている。決議に基づき南部に展開する政府軍約1万5000人は当面、リタニ川の北側で待機するという。

私がネトウヨさんですか。

 見慣れないリファラがあるので見たら。
 ⇒思考錯誤  [3148]NHKスペシャル「日中戦争」 たんこなす 06/8/14(月) 14:49

内容紹介は
⇒青狐さん
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060812
ネトウヨさんはヤケッパチ?
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060814
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060814

 というわけで、ネトウヨさんというということになっている。それで変な突撃とかあったのだろうか。
 へぇと思っていたら。
 ⇒はてなブックマーク - すこし殺伐栞 / 2006年08月14日

finalventの日記 - NHKスペシャル「日中戦争 〜なぜ戦争は拡大したのか〜」見たよ
コメント欄では「事実の存否」について哲学的に語ってらっしゃったりするけど、”れいの写真掲載ライフが出てきた。をっとぉ。”<みたいな記述を見るに、単にトンデモに引っかかってるだけじゃないの?って気がする

 「気がする」わけですか。
 まあ、どう見られてもいいけど、本人としては、とほほ。
 この手の”誤解”は靖国南京事件に関係しているみたいだが。
 私は、靖国問題にはそれほど関心ないですよ。一新興宗教の問題でしょ。小泉の参拝については司法から判断が出ているわけで、現状の参拝形態は違憲の疑いがある。追悼施設については千鳥ヶ淵を拡大すればいいと思う。って、何遍も言っているのだけど。
 南京事件については、私は幻派ではない。それは有った。便衣兵なら虐殺していいかとかまるで思わない。虐殺被害数については秦さんの考察あたりが妥当かと思うが、そこがこの問題の重要点だとも思わない。
 ついでに言っておくと、私は護憲派ですよ。支持政党は民主党。すでに言っていることなので。
 2ちゃんとかも書き込んだことないですよ(匿名発言はしない)。
 まあ、そいうのもネトウヨなんですかね。ま、しかしそう言えば今度はすっかりマジな方から突撃か。
 山本七平・イザヤベンダサンのシンパ=ネトウヨってことなら、
 これ↓を一読薦めるが。

cover
戦後日本の論点―山本七平の見た日本: 高沢 秀次
 まあ、こんな話をして通じるわけもないのだろうけど、なんというか、ま、人徳ないからなんだろうな。
追記
 ちなみに、ポリティカルコンパス的には、リベラル。
 ⇒finalventの日記 - 日本版ポリティカルコンパス ドラフト3をやってみた
 ⇒finalventの日記 - Political Compass

渕先生逝く

 ⇒池田信夫 blog:第5世代コンピュータ

しかし学問的には、ICOTの失敗によって、人間の知能に対する機械的なアプローチが袋小路であるということが実証された点には大きな意義があった。自然言語の本質はプログラミング言語のような演繹的な情報処理ではなく、脳はノイマン型コンピュータではないことが(否定的に)明らかになったからである。ではそれが何なのかは、いまだに明らかではないが・・・

 その結論はちと早いのだが、まあ、歴史的に見れば妥当な評価かもしれない。(補足、ノイマン・マシンの問題というよりオートマトンという説明論のありかた。)

 彼らは、文法はチョムスキー理論のような機械的アルゴリズムに帰着するので、それと語彙についての知識ベースを組み合わせればよいと考えていたが、やってみると文法解析(パーザ)だけでも例外処理が膨大になり、行き詰まってしまった。
 結局、自然言語処理は途中で放棄され、「並列推論マシン」というハードウェアを開発することが後期の目標になった。

 「並列推論マシン」とかへの流れの違和感もその通りだが。
 ゴセの人たちは、チョムスキー理論がよくわかってなかった。すでに拡大標準理論とかもあって、G&Bの時代だというのに、ゴセの人たちは、Syntactic Structureバリのというか、ハリスレベルのtransformationを実装しようとしていた。というか、Categorial rulesとTransformation rulesの違いがわかってなかった、とまではいえないが、なぜそうなるかというSemanticsがわかってなかった。
 というか、すでにその時点で、S構造とD構造を理解していなかった。
 チョムスキーがあのころやろうとしていたのは、UGを特徴付ける形式の、いわば例題的なものであって、あくまで目的はUGにあったので、その後のminimal理論へはきちんと流れがあった。
 ただ、minimal理論のフィルターとかも、とてもmachine implementできそうにない。
 Semanticsという点では、むしろモンタギューを実装出来そうに思えたがのだが、このあたりもチョムスキーによるモンタギュー批判がきちんと当たっていて、つまり、同じことになる。
 その後のontologyに至っては、また、異なった闇に突入とも思える。
 順繰りになってしまうが、コンピューター・サイエンスというのは技術なんで、とりあえずやってみるではないか。つまり、理論のひな型を実装するのではなく、現象を模してみるが大切かもしれない。
 コミュニケーションについてはストラテジーとしてアフォーダンスがありそうとか。
 ただ、言語はどうもそういうアフォーダンスですらなさそうだが。

全然違うとも思わないが

 ⇒セックスなんてくそくらえ - 昭和天皇の死と終戦記念日

私たちにとって昭和は何の意味も持たず、それはヒロの不器用な踊りほどの価値しかない、どうでもよいものであった。どこか遠いところで、ある時代が終焉を迎えたことを知りつつ、私たちの生活は一ミリたりとも変化しなかったのである。

 その「私たち」はその時の「私たち」なのだろう。少年に歴史なんか意味はない。
 だが、女を抱くようになった男がそう言えるわけもない。その歴史のなかから私たちが生まれているのだから。

 東京の夏は短い。イエス、エンペラー・イズ・レアリー・デッド、と私はつぶやき、白痴の子とヒロのことを、そしてエンペラーが死ぬよりはるか前、ある夏の日に死んだ幾千万もの無名で、匿名で、忘れ去られた死者たちのことを思った。彼らのために、私に何が書けるだろうか、愚かで下劣なセックスブロガーである私に?

 「愚かで下劣なセックスブロガー」でありながら書く。誰も読まないかもしれないものを書く。読まれるかもしれない1/10000000000000の可能性を信じて書く。自分の無意味さに充足して書く。
 あの日の感慨には似た感触がある。
 ⇒極東ブログ: 終戦記念日という神話

 余談だが、昭和天皇崩御したその時、私は東京駅にいた。職場に向かうはずだったが、こんなことは人生にそうあることでもないと思って、そのまま二重橋に走った。明治大帝が亡くなったとき、あるいは敗戦時を連想させるような光景がそこに出現するだろうかと期待した。が、何も無かった。静かだった。人も少なかった。私はしばらく虚空を見ていた。歴史に遭遇するというのはそういう感じかも知れない。

カワセミ先生、残暑見舞い

 ⇒カワセミの世界情勢ブログ: 夏バテ中の雑記
 ご自愛のほどを。

 ここしばらくの報道を見ると、イランは自国の周辺のアラブ世界で影響力を拡大するということを一貫して模索しているという印象がある。そしてサウジやエジプトは警戒感はあれど、今の政治情勢では一定程度の影響力を行使されてしまっている。その意味で地域ローカルな構図としてはイランはそれほど粗雑に動いてはいない。

 そんな印象を受けますね。その意味で、今回のヒズボラの動向がストレートにイランの動向とは見えず、むしろイランにしてみると対中国的にもある種の自制が感じられます。ただ、私はこの問題はイラン内部の民主化というか世俗化のパラメーターが大きいかなという感じがしています。

ただし、散発的に発生するテロが政治的フラストレーションを高めていくのは間違いなく、その点を指摘している。パキスタンがインド統治部におけるイスラム武装勢力の活動を黙認(場合によっては奨励もあるだろう)し、政治的に利用することを危険視している。そしてインドの忍耐は長くはないだろうと。

 一般的な法則かもしれませんが、インドのナショナリズムというか歴史リヴィジョンみたいなものが始まりつつあるようにも思えます。