日経社説 政権交代めざす民主党が少し心配だ

 これはアリかな。

 その限りでは確かに一貫するが、政策より政局を重視するあまり、政策面で何でもありの兆候が見える。例えば農業政策はばらまきの色彩が濃い。民主党の姿勢が与党にも影響し、与野党が反改革競争を展開することになれば悲劇である。
 造反組には綿貫民輔氏、野呂田芳成氏など自民党竹下派の幹部だった人たちがいる。現在の民主党幹部にも小沢氏、鳩山由紀夫氏ら同派出身者がいる。離合集散は政治の常だが、主要政党のうち最も新しい民主党に期待を寄せてきた人たちのなかには少なからず心配がある。

毎日社説 医師不足 地域医療を崩壊させるな

 思いつくままに挙げたが医師不足の解消は官僚まかせにする問題でない。医療の専門家集団である医師会が率先して取り組むテーマだ。国民の期待もそこにあることを真正面から受け止めてほしい。

 以上であります(おい、脱力すんじゃねー)。

朝日社説 数学の力 先細りさせないために

 まったく数学を学んだことのない人間は困ったもんだ。学問としての数学と応用化学を支える数学は別。前者は学問、後者は技術。
 学問としては、マンデルブロみたいな人が出てこない国もだめだが。

朝日社説 ブッシュ人事 一人忘れていませんか

 あはは呑気な社説だな。ってか冗談で社説埋めるんじゃねー。

 しかし、人事はどうあれ、大統領自身がイラクでの誤りと責任を明確にしない限り、内外での信頼回復という「使命」を達成できるとは思えない。

 事実は逆で正統政権がちゃんと樹立した、奇跡のように。

なんか本が出るそうです

 ⇒ネットは新聞を殺すのかblog : 本が出ます

 「ネットは新聞を殺すのか」という本を出したあと、結論が中途半端であるという批判を多くの方からいただいた。「ネット・・・」では、メディアはネットというトンネルの中に入ったということは指摘できたが、その出口がどこにあるのかを示せなかった。出口を示す責任があるという濱田さんの言葉に背中を押されてこのブログを始めたのが2年前の5月。答えが見つかるのか不安はあったが、とりあえずこのブログで情報発信を始めた。

 で、出口は?

 僕の興味の対象は、ブログというツールからポッドキャスティングに移行し、参加型ジャーナリズムやメディアの融合というテーマから、メディア周辺産業の近未来というテーマに拡大しつつある。メディアの変化に伴い、広告、マーケティング、広報、物販といったメディア周辺産業も変わる。そしてメディア周辺産業の変化はまた、メディア自体を変える。文化、社会を変えると思う。そう思うからだ。

 で、ブログというツールの近未来はどうなるの、という課題に対する湯川さんは、何処へ。
 また、参加型ジャーナリズムやメディアの融合、という課題に対する湯川さんは、何処へ。
 単純な話、ブログというツールは、メディア周辺産業へのプローブだったのだろうか?
 メディア周辺産業がメディア自体を変えるというとき、ブログの位置はどこにあるのだろうか。大きな流れのなかでの一つの小さな小さな流れだろうか。
 くどいが、メディア周辺産業がメディアを変えるという潮流のなかで、ブログの活動は、「文化、社会を変える」ということの付帯的な物にとどまるというのだろうか。
 案外、そうういうことなのかもしれない。
 私は、抵抗する。
 私は、メディア周辺産業変化によるメディアの変化がブログを覆うというだけの流れに抵抗していこうと思う。
 そのために、極東ブログをまだ書いていこうと思う。っていうか、できるところまで。
 ところで、これって、はてなのキーワードになるのか。

 みなさん、本当にありがとうございました。

 なっているみたいだね⇒http://d.hatena.ne.jp/keyword/%cb%dc%c5%f6%a4%cb%a4%a2%a4%ea%a4%ac%a4%c8%a4%a6%a4%b4%a4%b6%a4%a4%a4%de%a4%b7%a4%bf
 このお笑いが、案外、湯川さん的な言説をはてなとか2ちゃんが凌駕した(テンプレと見抜いた)ことの小さな一例かもしれない。

吉本隆明の後半生の戦いはソフト・スターリニズムとの戦いであった

 ソフト・スターリニズムとは何かが以前なら感覚としてある層には共有されていた。おそらく、60年代安保から70年代安保への裂け目の感性を持つ人がいたからだ。それと、吉本は関わらなかったが、ハンガリー動乱が日共的なもののの本質的な解体を志向していることに気が付いた人がいたからだ。
 今その感性が崩れ去ろうとしてのは、彼らが死期を迎えつつあるからか。しかし、その問いは歴史のなかに忘れ去れさられるに足る解体を遂げただろうか。
 そうではないだろう。むしろ、その間隙のなかでべ平連的なものが、戦後民主化的なものと結合して※※的なものに結合して、歴史の感性を失った30代から20代の旧知的な特権に吸着される若者に見られるようになった。面白いことに、吉本主義者の私に対する攻撃がこのあたりから起きてきたのはあまりに漫画的というか、俺も吉本主義者なんかやってるからだよ、な。
 この若者たちには60年代から70年代の間隙は感性ではなく、新しいストーリーの「知性」のようなものが覆っており、しかもそれはいわゆる文書で裏付けされている。これは極端に言えばGoogleでめっからないもの=存在しないもの、というの同じ地平のなかから出てきたと思う。何がないか。歴史の蹉跌感だ。
 吉本がなぜソフト・スターリニズムと苦戦したのか?
 それ以前になぜそれが苦戦にあたいする戦いのフィールドだったのか。このあたりは、いわゆる出版業界的・大学的知識人がまったく理解しえないことだ。なんとなれば、そんな戦いは西洋の知識人には存在しないからだ。浅田彰吉本隆明をただの馬鹿としてか見えなかったのは当然だろうし、フーコーもまた吉本を馬鹿だとしか見えなかった。しかし、フーコーと吉本の両方が見えた人間にはその悲劇のインパクトが十分に歴史言説化されなかった。
 吉本挽歌を歌うことができるのは、ソフト・スターリニズムが歴史に解消されたときだが、そうなのだろうか。
 私には、ネットの風景は、古典的な煽動(それは日露戦争後の日本のジャーナリズムのような)ものと、ソフト・スターリニズム復権にしか見えない。恐怖する。
 吉本がなぜソフト・スターリニズムと苦戦したのか?
 別の言い方をすれば、吉本がアジア的なものを内包したからだ。アジア的なものに歴史の大きな転換の理念を託したがゆえに、その宿痾をも背負い込んでしまった。
 私が、吉本と、もしかして根幹で異なるのは、こう書けばネットの失笑の対象となるのだろうが、私はアカデミズムの原則の中にいる=アジア的なものの捨象を前提としている、ことだ。アジア的なものに歴史転換の理念のようなものを私は思索的には構成しえない。というか、感覚できないのである。
 ただ、私の人生は幸か不幸かそれだけを課題とさせてきた。
 人が本質的な課題を持つとき、人生は不可避な一本道としてしか現れない。吉本は言わず森有正的になるがそれは本質的な敗北を含んでいる。意志は困難性のなかでしか現れないし、まあ、冗談みたいになるが小林秀雄が直感していたように悲劇としてしか現れない。
 吉本はその人生のときおりに孤独の極で「勝利だよ」とつぶやいただろう。彼は最後の意識のなかでその勝利を確信するのだろう。だが、その勝利は現在の裏切りからしか成就しない。現在とは悲劇でしか意味をもたないのだから。
 ソフト・スターリニズムとは、簡単にいえば、アジア的な善政の王の出現である。
 きっこのブログが言う「こんな人間のクズ、今すぐ死刑にして欲しい。」というあれだ。ぶっちゃけで言えば、善政の権力と知識が結合すれば、社会はよくなるというイデオロギーだと言ってもいいだろう。
 吉本の後半生の戦いは、権力(国家権力)自体が解体されるべき課題(スターリニズムは国家権力の志向をする)であるとし、また知識と知識人そのもの欺瞞に向かった。
 しかし、彼がうまく戦えなかったのは、彼自身のなかにアジア的なものの再構成が可能だったと思っている矛盾があったからだろう。
 西洋的な知識、あるいはアカデミズムに立てば、この矛盾は綺麗に解ける。しかし、私たちの実人生はそれを現実として許しはしない。現実が問いかけてくる課題は、大学院生の頭を越えたものだ。
 吉本とフーコーの絶縁と同じような構造が、吉本と山本七平にもあった。吉本からすれば山本はおぼっちゃんな西洋主義者にしか見えなかっただろう。実際は、山本は吉本に匹敵するような女性や性についてのナイーブな文学的な感性を持った人ではあった。が、山本は現実の死地を経験し、吉本にそれがないことが、たぶん、大きな差異とはなっただろう。吉本は対幻想における人間の本質的な罪といったようなものを人生に引き受ける覚悟はできたが、山本のように共同性のなかでの罪を人生に引き受けることはしていなかった。拒否していたとも言える。
 その意味で、山本七平は自身の存在を、述べたことはないだろうが、明確に悪と罪の構図で見ていただろう。むしろ対幻想の本質的な罪の特性を引きうけそれを共同性にまで思惟を詰めた小林秀雄を山本はよく見抜いていた。
 吉本と山本の差異は、テンプレ的には「天皇」観のなかにくっきり見えるし、そのことの解明にはそれほどの知性は必要とはしない。
 問題は、むしろ、吉本が敵視したソフト・スターリニズム的なものを山本がどう受け止めたかだ。もちろん、吉本の理解を超えたところではあっただろう。
 その受容は、結果からすれば明確なものだった。自身の悪と罪に立つ山本こそが、ソフト・スターリニズムの最大攻撃をくらったのだ。それに比べれば、攻撃をしかけて防戦してた吉本隆明のほうが甘ちゃんだったと思う。
 ソフト・スターリニズムのアジア的な相貌は、きっこのブログのような表出はむしろお笑いに近い。それはすでに戯画化された農本主義のようなものだ。
 課題は、ソフト・スターリニズムがネットのなかで奇妙な、みんなの正義として出現してきたことと、Googleで見える知識が知識です、ソースどこぉ?的な知識が、知識の生活的な批判性を覆い出したことだ。
 それが可視になる場は、正直、きっつい。
追記
 恐らく吉本の中には国家を十分に市民権力が掌握しても、その市民権力と市民そのものの様式に反感の感覚があるのだろう。

バッシングの意図もないし燃料投下の意図もないのでよろしくのメモ

 少し書いておこう。誤解なさらないように。メモである。
 松永さんには敬称を付ける。きっこにはつけない。特定の一人がいるとはとうてい思えないからだ。メインの女性ライターはいるのだろうとは思うが。きっこはきっこグループと考えているので「さん」とはしない。私の勝手な妄想かもしれないが。
 松永英明さんときっこの関係についてだ。まず、ガチな部分は、両者にメールのやりとりがあったという松永さんの発言があるということ。たぶん、あったのだろう。また、それによれば、松永さんからきっこへのメールが端緒であった。メール内容は、きっこについてどこだったか(サイバッチだったか)で話題になっているのをきっこに知らせたということ。どのような話題でなぜ知らせたのかはわからない。気にはなる。
 もうひとつガチと言っていいのは、松永さんがきっこに関心を持っていたということ。なぜ彼がきっこに関心を持っていたのかについて、ネットで十分に考察されたものを読んだことがない(同一人説はある)。私は、きっこのメディアの使い方と伝搬力に彼が関心を持ったのだろうと思う。
 3点目のガチは、松永さんは旧「みんなのブログ」公式ブログに関わっており、そのキーパーソンと見ていいだろうということ。
 以下はだんだんガチではなくなる。
 松永さんはアルファーブロガーか?
 もちろん、その定義による。昨今の話題では、彼はアルファーブロガーだと言われることが多い。
 ここで私が言うのは私のスタンスからちょっと微妙なものになるが、とりあえず思ったことを書いておく。
 松永さんのエントリ「ネット世論・ネットのトレンドを生み出すアルファブロガー [絵文録ことのは]2004/12/23」は、FPNのアルファーブロガー選出企画中のことだった。この企画からアルファーブロガーという言葉が定着してきたというのはブログ界の常識の部類に入る。
 で、この松永さんのエントリだが、私は当時2つのことを思った。1つは彼自身がこの企画でアルファーブロガーに選出されたかったのではないかということ。もう1つは彼がそうなれなかった場合、なった人に対する、本来のアルファーブロガーとはこうものだよという諭しと留保としておきたかったのではないか(ブログをよく知る立場として)。
 FPN企画の結果については私自身が正直驚いた。私は、率直なところ松永さんがアルファーブロガーとして選出されるであろうとも思った。
 なぜFPNの最初の企画で松永さんがアルファーブロガーに入っていなかったか。
 blog of the Yeah! 2003 by Myblog japanでは、ベストアーティクル・ブログとして、1位 小鳥(a little bird) 、2位 梅田望夫・英語で読むITトレンド 、3位 ウェブログ@ことのは となっており、これに大賞の俺様キングダムを加えれば、事実上、2003年時点のアルファーブロガーとして松永さんとその「絵文録ことのは」の地位は確立していたと見てもいいだろう。
 が、松永さん自身、FPNの企画で選に漏れたことが意外だったかもしれないという印象を私は受けた。松永さんには、日本のブログ界でもっとも著名な権威あるブロガーとなりたいという思いがあったように私には見受けられた。
 さらに憶測に入る。
 そのことと、実質的なブロガーとしての実力もあってか、松永さんは、「みんなのブログ」でのキーパーソンとなり、そして、あるべきブログ界の序列的なものとして、日本ブログ大賞2005を企画したのではないか。ただ、これは私の憶測なので、そういうキーパーソンの位置に彼がいなかったかもしれない。
 この企画について松永さんのエントリがある。日本ブログ大賞 2005 スタート [絵文録ことのは]2005/01/27である。

 ブログで自分の書いたものや写真を公開するのがとにかく楽しいからやってるって人とか、気がついたらブログやってる中毒の人とかが選ばれるといいだろうなと思いますね。
 うちで参戦するとしたら、このまとまりのないメインブログよりも義経日記かな(笑)

 として、彼自身の選考の可能性は除外している。ただ、この時の選考と彼の関係はどうだっただろうか(単純な疑問)。この時の「輝く! 日本ブログ大賞 2005」の発表媒体であるみんなのブログvol.3では、はじめよう!みんなのブログ(Vol.3)【総力特集】ブログのそこが知りたい! Q&A集 [絵文録ことのは]2005/03/31を読むに、松永さんがキーパーソンであるように見える。
 「輝く! 日本ブログ大賞 2005」の結果だが現状ネットリソースも少ない。ブログコンテスト「輝く! 日本ブログ大賞 2005」の受賞作品が発表がある程度である。プロジェクトとしては失敗と見てようにも思う。というか、ブログの世界にずっぽりといたはずの私は関心もなく結果も知らなかった。
 翌年の「日本ブログ大賞2006」ではご存じの通り、というかネットリソース日本ブログ大賞2006もあるが、きっこのブログが読者大賞となった。
 これはきっこのブログで投票してほしいというメッセージを出したのがきいたのかもしれない。というのも、同ブログでは次のように書かれていた。例えば、「投稿者 きっこ 日時 2006.02.01」がそうだ。

★「日本ブログ大賞」の「読み物部門」にノミネートしてるので、投票してもいいって思った人はよろしくお願いしま?す♪
  ↓
日本ブログ大賞

 現在該当する複数のエントリを見ると、この記述は消えている。大賞が終了したからだろう。と、とりあえず言える。
 推測なのだが、きっこは日本ブログ大賞自体の評価が低いことを知らなかったのではないだろうか。
 当時の状況を顧みると、きっこがブログ大賞に入ってくれば、その話題性からしても大賞なりの賞間違いなしと私なども思った。むしろ意外だったのは、その投票数だ。日本ブログ大賞2006によると。

第1回読者賞は、今年一番の話題を呼んだこのブログが、1,296票を集めて堂々の受賞!

 当時に1日8万PVと言われていたブログが1300票程度だったのにむしろ驚いた。そんなものなのだろうか。
 話を松永さんに戻すが、恐らく彼もその事態を想像していたに違いない。そのあたり、つまり、きっこと日本ブログ大賞の関わりについてどういう考えを持っていたのだろう。
 もう一つ、この選考委員、「ブログを愛する有志の集まりである日本ブログ大賞プロジェクトメンバーの厳正なる審査」とは誰だったのだろうか。単純な話、松永さんが含まれていたのだろうか。
 この疑問は、アルファブロガー2005候補を選んでみた [絵文録ことのは]2005/12/25とも関連する。ちなみに、この候補にGripBlogが筆頭になっている。
 結果は、アルファブロガー-お知らせでもわかるように、きっこのブログが選出されている。この選出について、松永さんは想定の範囲外だったのだろうか。
 きっこ自身は、アルファーブロガー選出について、私が知らないだけかもしれないのだが、コメントを出していないように思える。
 以上、とくにまとめはない。なにか疑惑への推測ということでもない。しいて言えば、ブログを愛する有志の集まりである日本ブログ大賞プロジェクトメンバーに松永さんが含まれていたのだろうかは確認してみたいとは思う。
追記
 松永さんへのやっかみとか思われているし。いえいえ、そんなことないですよ。
追記(2006.9.9)
 松永さんより返信をいただく。
 ⇒id:finalvent氏に答える 備忘録ことのはインフォーマル
 私の心証としてはこの点についての疑問は氷解した。
 ⇒finalventの日記 - id:matsunagaさんに答える

ほぉ、さすが総裁になる人は

 ⇒asahi.com:日銀総裁、村上ファンドに1千万円 「確定申告で納税」 - ビジネス

 日本銀行福井俊彦総裁は13日の参院財政金融委員会で、証券取引法違反インサイダー取引)容疑で逮捕された村上世彰容疑者が代表を務めていた「村上ファンド」に、1000万円を投資していたことを明らかにした。福井氏が日銀総裁に就任する前に務めていた民間シンクタンク富士通総研理事長当時の99年秋、「村上氏の志を激励」するとの目的で、同総研の有志数人と1000万円ずつを拠出したという。

 そのくらいの額は忘れていたのかも。

 与謝野金融相は同委員会で「総裁になるということが予想されていない時期に民間の方として出資に応募したということで、それ自体は何ら問題がないと思っている」と話した。

 ほぉ。
 次のえんがちょは誰?

単著もないのに

 はぁ、そゆこと。
 ⇒単著ジェネレーター

単著を出版できません。
持ち込まれた企画は現在、出版できません。作者の技術に問題が発生しているか、リアルとネットのギャップを調整する必要があります。