吉本隆明の後半生の戦いはソフト・スターリニズムとの戦いであった

 ソフト・スターリニズムとは何かが以前なら感覚としてある層には共有されていた。おそらく、60年代安保から70年代安保への裂け目の感性を持つ人がいたからだ。それと、吉本は関わらなかったが、ハンガリー動乱が日共的なもののの本質的な解体を志向していることに気が付いた人がいたからだ。
 今その感性が崩れ去ろうとしてのは、彼らが死期を迎えつつあるからか。しかし、その問いは歴史のなかに忘れ去れさられるに足る解体を遂げただろうか。
 そうではないだろう。むしろ、その間隙のなかでべ平連的なものが、戦後民主化的なものと結合して※※的なものに結合して、歴史の感性を失った30代から20代の旧知的な特権に吸着される若者に見られるようになった。面白いことに、吉本主義者の私に対する攻撃がこのあたりから起きてきたのはあまりに漫画的というか、俺も吉本主義者なんかやってるからだよ、な。
 この若者たちには60年代から70年代の間隙は感性ではなく、新しいストーリーの「知性」のようなものが覆っており、しかもそれはいわゆる文書で裏付けされている。これは極端に言えばGoogleでめっからないもの=存在しないもの、というの同じ地平のなかから出てきたと思う。何がないか。歴史の蹉跌感だ。
 吉本がなぜソフト・スターリニズムと苦戦したのか?
 それ以前になぜそれが苦戦にあたいする戦いのフィールドだったのか。このあたりは、いわゆる出版業界的・大学的知識人がまったく理解しえないことだ。なんとなれば、そんな戦いは西洋の知識人には存在しないからだ。浅田彰吉本隆明をただの馬鹿としてか見えなかったのは当然だろうし、フーコーもまた吉本を馬鹿だとしか見えなかった。しかし、フーコーと吉本の両方が見えた人間にはその悲劇のインパクトが十分に歴史言説化されなかった。
 吉本挽歌を歌うことができるのは、ソフト・スターリニズムが歴史に解消されたときだが、そうなのだろうか。
 私には、ネットの風景は、古典的な煽動(それは日露戦争後の日本のジャーナリズムのような)ものと、ソフト・スターリニズム復権にしか見えない。恐怖する。
 吉本がなぜソフト・スターリニズムと苦戦したのか?
 別の言い方をすれば、吉本がアジア的なものを内包したからだ。アジア的なものに歴史の大きな転換の理念を託したがゆえに、その宿痾をも背負い込んでしまった。
 私が、吉本と、もしかして根幹で異なるのは、こう書けばネットの失笑の対象となるのだろうが、私はアカデミズムの原則の中にいる=アジア的なものの捨象を前提としている、ことだ。アジア的なものに歴史転換の理念のようなものを私は思索的には構成しえない。というか、感覚できないのである。
 ただ、私の人生は幸か不幸かそれだけを課題とさせてきた。
 人が本質的な課題を持つとき、人生は不可避な一本道としてしか現れない。吉本は言わず森有正的になるがそれは本質的な敗北を含んでいる。意志は困難性のなかでしか現れないし、まあ、冗談みたいになるが小林秀雄が直感していたように悲劇としてしか現れない。
 吉本はその人生のときおりに孤独の極で「勝利だよ」とつぶやいただろう。彼は最後の意識のなかでその勝利を確信するのだろう。だが、その勝利は現在の裏切りからしか成就しない。現在とは悲劇でしか意味をもたないのだから。
 ソフト・スターリニズムとは、簡単にいえば、アジア的な善政の王の出現である。
 きっこのブログが言う「こんな人間のクズ、今すぐ死刑にして欲しい。」というあれだ。ぶっちゃけで言えば、善政の権力と知識が結合すれば、社会はよくなるというイデオロギーだと言ってもいいだろう。
 吉本の後半生の戦いは、権力(国家権力)自体が解体されるべき課題(スターリニズムは国家権力の志向をする)であるとし、また知識と知識人そのもの欺瞞に向かった。
 しかし、彼がうまく戦えなかったのは、彼自身のなかにアジア的なものの再構成が可能だったと思っている矛盾があったからだろう。
 西洋的な知識、あるいはアカデミズムに立てば、この矛盾は綺麗に解ける。しかし、私たちの実人生はそれを現実として許しはしない。現実が問いかけてくる課題は、大学院生の頭を越えたものだ。
 吉本とフーコーの絶縁と同じような構造が、吉本と山本七平にもあった。吉本からすれば山本はおぼっちゃんな西洋主義者にしか見えなかっただろう。実際は、山本は吉本に匹敵するような女性や性についてのナイーブな文学的な感性を持った人ではあった。が、山本は現実の死地を経験し、吉本にそれがないことが、たぶん、大きな差異とはなっただろう。吉本は対幻想における人間の本質的な罪といったようなものを人生に引き受ける覚悟はできたが、山本のように共同性のなかでの罪を人生に引き受けることはしていなかった。拒否していたとも言える。
 その意味で、山本七平は自身の存在を、述べたことはないだろうが、明確に悪と罪の構図で見ていただろう。むしろ対幻想の本質的な罪の特性を引きうけそれを共同性にまで思惟を詰めた小林秀雄を山本はよく見抜いていた。
 吉本と山本の差異は、テンプレ的には「天皇」観のなかにくっきり見えるし、そのことの解明にはそれほどの知性は必要とはしない。
 問題は、むしろ、吉本が敵視したソフト・スターリニズム的なものを山本がどう受け止めたかだ。もちろん、吉本の理解を超えたところではあっただろう。
 その受容は、結果からすれば明確なものだった。自身の悪と罪に立つ山本こそが、ソフト・スターリニズムの最大攻撃をくらったのだ。それに比べれば、攻撃をしかけて防戦してた吉本隆明のほうが甘ちゃんだったと思う。
 ソフト・スターリニズムのアジア的な相貌は、きっこのブログのような表出はむしろお笑いに近い。それはすでに戯画化された農本主義のようなものだ。
 課題は、ソフト・スターリニズムがネットのなかで奇妙な、みんなの正義として出現してきたことと、Googleで見える知識が知識です、ソースどこぉ?的な知識が、知識の生活的な批判性を覆い出したことだ。
 それが可視になる場は、正直、きっつい。
追記
 恐らく吉本の中には国家を十分に市民権力が掌握しても、その市民権力と市民そのものの様式に反感の感覚があるのだろう。