ちょっとコラムも切る
6月9日付・編集手帳
おもしろい。
余録:ヨット
私はこれは悪文だと思うな。知識はあるけど風情というものがない。生活者の感性が文にないように思えるからだな。
Sankei Web 産経朝刊 産経抄(06/09 05:00)
あ、これは禿同です。私も河野に卵ぶつけにいこうかと思った。コラムだからって文学もどきになることはないか。
春秋(6/9)
よくわかんね。
今日の新聞各紙社説は…
今日も特にどってことない。サッカーと限らず私はスポーツジャーナリズムを受け付けないのでそんなもの。
社説子は日常的な医療・健康問題については、内部の専門に話を聞くといいと思う。どうも素人談義が多すぎるようにも思う。ま、その専門家が問題なんだとも言えるのかも。
ブログなんかだとネタを書いてマジレスもらっても自業自得だが、社説とかはそうもいかない。
あとは銀行かな。銀行の雰囲気というのが問題ということでもないがいろいろ思うことがある。
●日経社説 熱を帯びる安保理拡大劇
で? 日本はうまくやっていると思うよ。というか、日本がうまくやらないと国連は終わるのではないか。すでに終わっているというツッコミはなしなし。
●日経社説 保険の銀行窓販は利用者の視点で
何が言いたいのかよくわからない。こんとこ、銀行に行くことがあるが、どうも雰囲気が違う。露骨にいうと、カネのないのは命がないのと同じ的な空気を感じる。ま、感じさせまいとしているところもある。
●産経社説 日本脳炎ワクチン 常に安全性高める努力を
産経に専門はいないのか。というか、専門がいたからこうなったのか。
●産経社説 W杯出場 強い精神力見せてくれた
精神力不要。
●毎日社説 W杯出場決定 実ったぞ「和」のジーコ流
こういう文章が私の頭には入らない。
●毎日社説 MD共同開発 損得勘定とことん詰めよ
これは、自分なりに少し変節してきている。損得勘定すれば対中戦略の一環で買い物です、残念ながら。
●読売社説 [ゴミ有料化]「『省資源社会』へ必要なコストだ」
これがよくわからない。私の見る限り、ゴミは減っている。どのセクターかで増えているのか。
●読売社説 [水銀含有食品]「魚を避けるほどのリスクはない」
さてこれにどうコメントすべきか困ったものだ。まぁ、とりあえずはそれでいいのだろうとは思う。もう少し言えば、魚を選べよでもあろうか。ただ、欧米での今後の動向が過大に日本に伝わると問題にはなりうる。
●朝日社説 町村外相発言 すれすれはどちらか
なんくせ。
●朝日社説 サッカーW杯 さあ、ドイツへ
つまんね。日朝戦は最後のレッドカードが北朝鮮風味でよろし。
うーむ、面白いネタがあるのだが…
と出し惜しみっていうわけでもないが、ネタが続くのもいかがなものかと言われてしまったし。
ちなみに今朝のhoge
⇒asahi.com: 建築家荒川氏、母校間違え訪問 NHK「ようこそ先輩」 - 文化・芸能
だが、考えてみると、私なんかも、小学校とか別の学校みたいなんでそんなものかも。
はてなQ 玄米半合を圧力釜でおいしく炊くにはどんな方法がありますか。
所要時間はどのくらいですか。
おすすめの圧力釜があればお教え願います。
お返事は晩になります。
これは土釜を内釜にするといいのだけどね。40分くらいかかるかな。
以前マクロバイオティクスのときそれで玄米喰ってた。
えっと、今朝出し惜しみしたネタはこれです…
A woman's genetic make-up accounts for at least a third of her ability to climax during sex, say researchers, and may even account for as much as 60%.
翻訳は勘弁してくださいね。
ネタにマジレスというわけではないがある程度真実なんでしょうね
これ⇒はてなブックマークが共有しているもの[その他] 真性引き篭もり/entry
人と情報、情報と人によって浮き出るものはくだらない。
大衆は常に場当たり的に情報を求め、その欲求の流れが時代を作り出す。
時代の中心にあるのは、くだらない知と、くだらない情報だ。
くだらない流行、即ち時代というものである。
つまり来年の4月には肥大化したはてなブックマークははてなリーダーの手に負えなくなり、はてなブックマークとしての致死に至り死に、細かく巨大化した近藤淳也も死ぬ。それを持ってソーシャルブックマークサービスはソーシャルブックマークサービスとなり、ソーシャルではないソーシャルという1つの時代は終焉し、作り上げられた近藤淳也というはてなはそれぞれの心の中へと帰って行き、「そんな時代もあったね」と語られる日々の中でjin115ややねうらおといったような人々の脇に添えられてしまう時代が訪れる事が確実視されている事実だ。
感覚的に捕らえられている部分にいくばくかの真理があるのだろうと思う。
ま、ちょっと頭をひねると別の理屈も浮かぶのかもしれないし、誰か考えるでしょ。お・ま・か・せ。
私としては、ぶくまを公開しているのは、基本的にこの日記自体がぶくまだったからでもある。ただ、だからというべきか、この日記ともども依然私的な領域にある。
どこかの時点で、ぶくまをクローズドにし、日記もクローズドにするかもしれない。
ただ、現実の時代というか時間というか、速度というかで見ていくと、例えば、finalventそれ自体がネタでしかない。しかも、ある種注目されるとすれば、それは回遊魚的に動いているからだろう。
というか、ブログなりぶくまなりがそういうネタの速度の属性になりつつある。
誤解されるかもしれないが、そういう意味では、ボードリヤール的だが、ブログなんて内容は関係ないのだ。
ケインズ風の美人投票のようなもので、そこに実体的に読まれるべきことはなにも書かれていない。絶対的な美人が美人投票と関係ないように。
ただ、ネタ=筆者の速度と不特定な関心の速度があるだけ、とも言える。
ま、それだけではないだろうし、よくわからない点はある。
はてなユーゲントはネタだが、ぶくまのおかげで、ある意味で集合的な知性の頭の中身が覗けるようになったし、うまく使えば、思考をそこに投げてリザルトだけ返却させることだって不可能ではない。
現状でいえば、ごく単純なレベルで英語の情報はひっかからないし、書籍情報もひっかからない。10年前の本に書いてあるよ的な内容でも釣れる。関心は今ではない。コピー可能ななにかではある。
くさい言い方であほくさいのだが…
たぶん、ネタとは速度差なんだろう。
t1:「ネタがあるよ」
t2:「(え、知らねーよそのネタ…でも言うのもなんだしな)へぇ」
|t2−t1|がネタの本質なのな。
ぶくまでいえばその速度は一日から二日。
それがはてなゆーげんとでクローズするから、速度のなかで減衰する。
減衰しなければ、ネタはもっと芋畑へと循環する。
というところで、減衰と初期のグループの差異だけがぶくまの価値になる。
現実的には、まだまだ、ネタっていうのは、マスメディアの領域だしな。電通とか、とかとかがひっぱれば作成できる領域にある。
その意味で、はてなゆーざの増加でぶくまが熱死するのではなく、そのとき、メディア発のネタが熱死するかだが…しねーか。
ぅぅむ、内容がないわけでもないか、ネタに…
実体的に考えるのは違うよというだけか。
たとえば、私はダルフール危機に関心を持っているので、ぺとぺとぶくまする。
数名がワッチしているようでもある。というのが仮にコアとする。それ以上には膨れない。
ぶくまがSBMらしくなるのは、はてなゆーげんとで40を越えるあたりか。べたでひっかかるのは、プログラミング書法みたいなネタ。
芋畑へのインタフェースは依然芸能ネタ。文春にあびるの写真が載っていたけどぉ…あれさ…みたいなもの。
ただ、それでも、本質というか重要性は個々のネタの属性や芋畑へのインタフェースや伝搬性ではなく、速度とコアの関係だろう。
というところで、そのコアの釣り出しが一番の価値だったりするわけで、つまりつまりそれって共有が名目で結果は共有ですらない。
ぶくまのデザインを少し変えた
⇒はてなブックマーク - ソーシャルブックマーク
ある意味、共用する部分があるからあまりインタフェースは変えないほうがいいのだろうなとは思う。
はてなのこーゆーところがわかんない
これ⇒はてなアイデアの市場化について
ま、面白いアイディアとも言えるのかもだし、ユーザーの意見を取り入れるビジネスモデルっていうやつかもしれないのだが…。わからん。
ほんとに書いたのだ…ユン・チアン
via id:Soreda
⇒Guardian Unlimited Books | By genre | Inside story: Jung Chang's novel Wild Swans smashed best-selling records worldwide
書いているという話は10年くらい前から聞いてたような…大げさか、そりゃ、でも、れいの卓上Macの時代だし。
ところで、中国に関心をもつなら、やはり必読でしょう。
ワイルド・スワン〈上〉
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