ネタにマジレスというわけではないがある程度真実なんでしょうね

 これ⇒はてなブックマークが共有しているもの[その他] 真性引き篭もり/entry

人と情報、情報と人によって浮き出るものはくだらない。
大衆は常に場当たり的に情報を求め、その欲求の流れが時代を作り出す。
時代の中心にあるのは、くだらない知と、くだらない情報だ。
くだらない流行、即ち時代というものである。

つまり来年の4月には肥大化したはてなブックマークはてなリーダーの手に負えなくなり、はてなブックマークとしての致死に至り死に、細かく巨大化した近藤淳也も死ぬ。それを持ってソーシャルブックマークサービスソーシャルブックマークサービスとなり、ソーシャルではないソーシャルという1つの時代は終焉し、作り上げられた近藤淳也というはてなはそれぞれの心の中へと帰って行き、「そんな時代もあったね」と語られる日々の中でjin115ややねうらおといったような人々の脇に添えられてしまう時代が訪れる事が確実視されている事実だ。

 感覚的に捕らえられている部分にいくばくかの真理があるのだろうと思う。
 ま、ちょっと頭をひねると別の理屈も浮かぶのかもしれないし、誰か考えるでしょ。お・ま・か・せ。
 私としては、ぶくまを公開しているのは、基本的にこの日記自体がぶくまだったからでもある。ただ、だからというべきか、この日記ともども依然私的な領域にある。
 どこかの時点で、ぶくまをクローズドにし、日記もクローズドにするかもしれない。
 ただ、現実の時代というか時間というか、速度というかで見ていくと、例えば、finalventそれ自体がネタでしかない。しかも、ある種注目されるとすれば、それは回遊魚的に動いているからだろう。
 というか、ブログなりぶくまなりがそういうネタの速度の属性になりつつある。
 誤解されるかもしれないが、そういう意味では、ボードリヤール的だが、ブログなんて内容は関係ないのだ。
 ケインズ風の美人投票のようなもので、そこに実体的に読まれるべきことはなにも書かれていない。絶対的な美人が美人投票と関係ないように。
 ただ、ネタ=筆者の速度と不特定な関心の速度があるだけ、とも言える。
 ま、それだけではないだろうし、よくわからない点はある。
 はてなユーゲントはネタだが、ぶくまのおかげで、ある意味で集合的な知性の頭の中身が覗けるようになったし、うまく使えば、思考をそこに投げてリザルトだけ返却させることだって不可能ではない。
 現状でいえば、ごく単純なレベルで英語の情報はひっかからないし、書籍情報もひっかからない。10年前の本に書いてあるよ的な内容でも釣れる。関心は今ではない。コピー可能ななにかではある。