1.VI. The Illusion of Needs

 Acimのロジックとして違和感もなく、特に際だったメッセージ性もないが、おそらくこのあたりは、ヘレンへの啓示のまだ混乱期の名残ではないだろうか。ヘレンへの個別の文脈が感じられる。
 「信仰」の勧めが説かれているようにも読めるが、Acimの場合、「知識」の理解と、聖霊への信頼が結果的な信仰となるので、いわゆる信仰を強めるというのは誤解しやすいのではないかと思う。
 また、この部分では、文脈上、キリスト教的な「原罪」が描かれていて、Acim的な訂正でもあるのだが、かえって混乱しやすいのではないかと思う。
 実生活上の問題としては、「欠乏」についてそれはなかったのだとしても、肉体を通しての渇望感が即座に消えるわけもないので、そのあたりが十分に説得的でもない。
 以上、偉そうな感じになってしまったし、否定的になってしまったが、この章は、こうした点で難解ではないかと思う。
 メンター本を見ると、この章では、神と自我の2レベルを扱っているともあり、それはそうかと納得。またメンター本では、「信仰」を「神の愛」を強調している。神の愛が覚知できれば欠乏・欠落感はなくなるという意味でもあり、そこを強調すべきではあるだろう。
 そしてまいどのことながら、神の愛というのは赦しに伴うのだが、ここはいつも思うのだが、神の愛なくして赦しは難しいものだろう。
 コメンタリー本では、この章で、神にはグレーなレベルはないとしている。たしかにそれも重要ではある。