このところ、読みようによってはちょっと発狂めいた話を書いている。それに没頭しているというほどでもないが、精神・身体的な苦痛がきついと、どうしようないなというのはある。
 朝ドラ、梅ちゃん先生は、どうも見そうにない。まるで関心が向かない。そのあと、朝、うつ病の話をやっていたが、スペシャルの焼き直しだった。まあ、ようするに抗鬱剤は効かないということだ。NHKでは1/3は効かないというデータを示していたが、軽微に限定すればおそらく9割がたは効かない。ホメオパシーが偽科学といったのとさして代わりのようなような状態にあるのは、そもそも鬱病を脳の病気としてしまうスキームに問題が関連している。では、脳の病気ではないのかといえば、機能障害であることは確かだが、因果論ではなく、おそらく大森的な並行論的だろう。薬がまったく効かないわけではないが、その意味了解といったものがそれによって無化されるわけでもない。それどころか、それらは意味了解・精神といった以上に、実は、存在論的な問題でもある。逆説的にいうなら、例えば、鬱病が投薬治療で快癒した、独裁主義を支える官僚とはなんだろうか?
 また、acimに話が流れてしまうが、一面において、これはキリスト教なのか?ということだが、まあ、キリスト教ではないと言っていいだろうし、ワプニクが上手に理解していたように、キリスト教を"undo"する、何か変なものだろう。ちょっとした知的な作業を加えれば、仏教やクリシュナムルティまたは親鸞といったものですら描き直しが可能になる。ではそうした、ある普遍的な真理の上に、つまり一種の普遍宗教なのかということになるが、これも端的に言えば、そうはならないだろう。
 ある種の普遍的な真理であったとしても、その効果はゼロに近い。