モテたいと思ったことはないな
ブログを初めて、6年目。マジかよ。まあ、それはそれとして、この世界に入ってから、自分はもう40代後半で、絶対的に若くなくて、見える光景は、若い人たちで、で、そこに、いつの時代も変わらないな、「男おいどん」的な世界と、ああ、時代は確実に変わって、自分はきちんとある古い世代にカプセル化させられちゃったなというのがあって、後者でいうと、「モテたい」というのが、へぇぇぇだった。オレ、モテたいと思ったことはないな。
全然ないかと言えばそれも嘘だろうけど。また、モテたからというのでは全然ないが。
単純な話、自分が愛してない人から好意をもらってもそれに応えることはできないんだから、最初からタイプ宣言してコンパイラで弾いておけよ的な感じ。
で、話は終わりなのだが。
終わってよいのだが。
が、というのは、なぜ今の若い人たちはモテたいのだろうか?と考えて……よくわからない。
私の世代から上の世代で、「モテたい」というのは基本的に水商売の文脈だったと思う。私はそういう遊びカネを使う人でもないし、まあ、持ってもなかったか、なので、縁がなかった。無縁。っていうか、モテるというのは、ようするにカネの使いかたを意味していた。
で、じゃあ、若い諸君、君たちもモテたいと思うことはないぞ、自分が愛してない人から好意をもらってもそれに応えることはできなじゃないか云々とは言わない。それはなんか人として間違っている気がする。なんかいつも説教こいている爺に見られるのかもしれないが(ゆえに反発されるのだろうか)。
性行動とかの件でも、不倫とかやるとかなりの確率で修羅場とか地獄とかやってくるわけで、そのあたりはそういう人生を選択したら随伴することでしかないので、各人ご勝手にではあるわけで、基本的に人がどういう性行動して生きていようが、どんな欲望をもっていようが、自分との接点はほぼないので、ワタシ的にはけっこうどうでもよい。
ただ、なんというのか、若い頃山ほど悩みがあって、今でもそれを継承した悩みやその他山ほどあって、救われないなあオレとか思うけど、モテたいと思う悩みはない。そういう悩みがもてるのは現代というある時代的なカプセル化的なものなんじゃないかな。
人間と限らずたいていの個体というのはそれほど性的に優位に立てるわけではないから、ほどほどと弱者戦略を立てるのではないか。そんな感じで、群のリプロダクションは均衡するようにできていると思うのだが、昨今の少子化とか見ていると、そうもいかないのかなと思う。率直にいうと、日本をどうするとかあまり重要な問題だと思わないせいか、そういうものかなくらいしか思わない。
当事者はいろいろつらいだろうとは思うけど、いろんな局面の当事者は。