まあ、きちんと研究してください

 以前からフカされていた話ではあるけど。
 ⇒消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(上) | Chosun Online | 朝鮮日報
 ⇒消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(中) | Chosun Online | 朝鮮日報
 ⇒消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(下) | Chosun Online | 朝鮮日報

 しかし、後世の記録を見ると、朝鮮人琉球列島に漂流し送還された話がかなり登場する。『朝鮮王朝実録』だけを取り上げてみても、「太祖実録」太祖(1397)年条に、9人が琉球に漂着した話があるのをはじめ、明宗元(1546)年までに13件の事例が記録されている。これは、ほとんどが送還された場合の話であり、漂流した例はもっと多かったと考えられる。

 これはそう。
 このあたりの歴史は、民族史というより、地域を滑らかに見ていくとよいと思う。
 その意味ではこれとかも。

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中世倭人伝 (岩波新書): 村井 章介
 こういう視点ね。
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境界をまたぐ人びと (日本史リブレット): 村井 章介

前近代の「国境」とは、一本の線ではなく、それ自体がある広がりをもった人間活動の場であった。その空間に点在する小島たちは、交通が陸上中心になってしまった今となっては不思議なくらい、大きな顔をして地図上に登場していた。蝦夷・唐人・琉球人・倭寇・海賊・商人など、さまざまな名で呼ばれた「境界をまたぐ人びと」の姿と活動は、都を中心とする視線からはとらえきれない幅広さと多様さにみちている。前近代の国境観念のなかに、現代の領土紛争解決の道を探り、国境をまたぐ海の世界の復権を訴える。

 そしてこの、前近代のあとの近代に何が起きたか。もちろん、民族国家が成立し国家や民族が成立するのだけど、それだけでは近代たりえない、というか、それが近代のなかで支配・被支配に見える境界を作り出すかのように人々をその国家や民族に従属させようという運動が起きる。
 別の切り口でいうと近代の国家・民族の幻想は、陸のテリトリー、そしてそれが海域へも比喩されるわけだけど、海に面した民衆にとって海とは開かれた交通路であって、むしろ、海によってつながっている。