私が20代だったころ50代だった人の話を読み返して泣ける

 なんか、自分がその年になって、ぐゎゎ〜んとわかることがあって、なんか泣けてしまうことがあるな。もっときちんと読み込んでいたらよかったのにと思うけど、取り返しというのはつかない。
 あと、世代的なものもあるかな。
 ネットで迂闊に書くと嫌がられるけど、私は辛うじて、東京オリンピック前の東京というものを知っているし、戦争の臭いを感じられる世代でもあったし、私より上の団塊世代GHQ神話の上で青春のホルモンホルモンもあってバカ騒ぎしているなとひやっと子供の目で見ていたせいもあったが、団塊世代上の世代の述懐というか彼らが50歳ころに書いたのものを今読み返すと……泣けるなんかループ。
 懐古ということではなく、なんか、団塊世代で途切れた日本の歴史みたいのを、もういちどその情感のなかでつないでくれよ、大切なんだよ、みたいな心情はある。保守とか右派とかに見られがちだが、これはなんというか、普通に戦後の世界を見た普通に昭和なリベラルな心情なんだろう。
 
追記
 ⇒はてなブックマーク - 私が20代だったころ50代だった人の話を読み返して泣ける - finalventの日記

mahal 国家, 世代 多分、弁当氏にとっては団塊こそが『占領軍の先兵』であり、団塊が何がしかの形で文化的ヘゲモニーを握る限りは日本は被占領状態ってことなんだな、と、妙に納得した。 2009/04/21

 両義的、ゆえに曖昧な部分はあるけど、概ねそう。
 彼らは、戦中世代の軽薄な転向派に踊らされて父祖の伝統に反逆した。それは時代の制約でしかたないとしても、そこから返ってこなければならない地点はある。ちょっと勇み足でいうなら、憲法九条を守るのではなく、日本を守るうえで憲法とは何かというが問題なのだが、彼らは本末転倒している。