「様相実在論」を理解しているというわけでもないけど

 ⇒「現代思想」2001年11月臨時増刊号なんてどうすかね - kugyoを埋葬する
 可能世界実在論ともいうのかな。
 一般的な意味でのロジカルにはこれらは確率の意味論だろうと思う。エヴェレットの多世界解釈なんかも、結局は、量子力学の確率の意味了解の違いで、確率から見れば同値というか。Historical Sum(経路積分)とかの考えは終末論的というか。すべての確率が終了すれば量子論実在論は合致するというか。
 で、これは未来という時間における「真」の分布の了解なのではないかな。(終末論と同じ意味合いで。)
 というあたりで、確率論の不毛(「明日の雨は60%」の意味はゼロ)、時間の不在といった大森荘蔵道元的な観点からは、ナンセンスなのではないか。曖昧な言い方だけど。
 これは別の言い方をすると今というこの時の意識と私の意識がどう未来に自身を見るかという、自意識の構造になるのでは。
 で、人類意識というはこうした全体的な構造を理解するように、実は輪廻転生を自然に受けいれるように構造化されているのではないかな。
 三浦の議論をよくフォローできたわけではないけど、実態としての人類の倫理は、実際のところ輪廻転生の信念に依拠しているというのは確かなのでは。
 疑似科学批判のレベルで輪廻転生はあるとかという意味じゃなくね。