あまり正確ではないけど
私はバブル前、バブル中、バブル後をぼんやりと生きて来た。振り返ってみると、必ずしもそうしたものに影響がなかったわけではない。云々。
バブル前の世界では、なんというのか、世間の意識的には、お嬢様ブームあるいは女子大生ブームみたいのがあったのだが、あれが実質自分の青春の終わりころだった。そこが印象深いのは、自分の周りには純正お嬢様というのがいたし、女子大生たちは私より頭が良かった。70年代の最後と80年代の始まりの微妙な隙間のように思う。そのころ、すでに村上春樹がいた。ユーミンの歌もまだ大きなブレークはなく、流行歌はそれほど美しくなかった。メディアがなんというか社会主義とでもいうのか、でっち上げられた感は少なかった。もちろん、でっち上げられたものではあったが。町は普通の町の風景というか、ドラえもんやサザエさんの町だった。ああいう町が本当にあった。
そのお嬢様ブームの前は平坦だったかというと、一種の政治の終わりの時代があった。社会党がぶいぶいしていたし左翼もブイブイしていたが、地味に右派というか普通に欧米風の伝統的な知識人が台頭するようになってきた。諸君とかがそれなりに継続しそうな時代。新書などもそういう知識人を背景に面白かった。今のようなネタの新書ではない時代だ。
思うと75年くらいにある意味で戦後の終焉が始まり、そして、この空隙を終えて、ある喧噪の時代が始まり、実質プラザ合意でその本質は終わったのだろうが、それが顕在化するまでに長かった。あのとき、戦後の日本は終わっていたのだろう。
と振り返ると、自分中心すぎるかもしれないのだが、私は、57年といういわゆる戦後の終わりの空隙に生まれ、そして本当に日本が終わる微妙な最盛期に一番知的な形成を得たと思う。それは案外ラッキーだったのかもしれないと、ぽかんと不思議な感じがする。うまく言えないのだが、こうして見ると、私が社会に対してあるすてばちなニヒリズムに浸されない理由はそんなところにあるのかもしれない(自分的にはそう思っているけどくらいだけど)。まあ、世代論ということではないんだけど。
バブルの時代、自分はあまり関係ないといえばそうだし、それに乗っかるには若すぎたのだが、微妙にスピンアウトした。自分の人生を狂わせた社会的な要因があるとすればバブル前の微妙なバブル発射の読み違えかもしれないし、その後の微妙なバブルの潤沢さのおこぼれかもしれない。書いていて曖昧になってしまうのだが、よくわからないが、とにかく流されて生きていた部分は大きい。今の時代なら、たぶん有無も言わさず沈没していただろうな。
そして、私は消えた。消えたというか別の自分を生きて来た。というか、今の自分はそっち側なので、消えたのは以前の自分かもしれない。こうして振り返ると、消えることもそれなりの流されるという意味でのサバイバルだった。
これからどうなるのだろう。ふと25歳のままあるいは32歳くらいのままの自分の意識に50歳の自分が取り残されている感もあるし、率直にいって、普通に50歳のオッサンのリアルもある。普通に考えればそのリアルの側にサバイバルはあるだろうし、こうしたタイプの人間にありがちなのだが、50の坂は越えられないかもしれない。
端的に言えば、運命というものはある。避けがたいという意味で。意志はそれをさらに避けがたいものにしていく。ただ、もう少し与えられた部分の資質というか経験というのはなんだろうと思う。
私の日記を不快に思う人たちがいる。ごめんな。
ただ、なんで書いているのというと、そういうなんか微妙な残余が意味を形成していくプロセスとも関係あるのかもしれない。
山本七平は当然ながら若いころ戦地に送られた。軍に属して、変なところだと思いつづけそして死地を見た。それでも生かされたのだから生きていようとして生きていただろうし、世間なんかある意味でどうひどくにもなりうるものには見えていただろう。死にそびれ、病で倒れそこね、事業で失敗しそこねという、あの達観とした風貌とは異なった壮絶な人生だったが、あの達観とした感じは、彼の信仰の形と言えばそうかもしれない。彼は直裁な形では信仰を語らなかった。若い私はそのことにもどかしさを覚えた。実質二度本人に問い詰めてしまったこともある。しかし、今、なんとなくわかる。