倫理的に劣っていそうな一群の人々について

 さっきのエントリの続きというか。ゴミやタバコをポイ捨てしたり、二人乗り自転車とか、あるいは電車の中のだらけた学生とか、酔漢とか、私はけっこうなんとも思わなくなってきた。
 話が少しずれるが、以前、インドの人と話していて、ちょっと文脈を忘れていたが、彼は私をある種のカーストに嵌めて込んでいた。通常は、外国人は一律のカースト扱いになるのかと思うが、なんか微妙に私は上位カーストに認識されているっぽかたった。理屈はなんかありそうだが理解できなかった。
 で、カーストについてちょっと話をした。これがまた要領を得ないので記憶もたいした像を結ばないのだが、ようするにカーストごとに生活様式があり、それはそれでいいのだ、みたいなものだ。うまく言えないのだが、倫理的に劣る人々がいてもそれはそのように宇宙がそうなっているのだみたいだった。
 まあ、べたに言うと、倫理が劣る人というのは、身分が低いということのメリットなんじゃないかなと、ときたまちらっと思うというか、なんとなくそうして理解している分がある。それにはメリットがあるし、彼らの気がつかないデメリットもある。そして、身分の高い人にもメリットとデメリットがある。もちろん、現代日本の社会に身分なんてものはないので、それはなんというか比喩なので誤解なきよう。
 よくネットなぞで、高貴であれ、みたいなことを書く人がいるけど、まるでわからん。高貴さとブログなんかが結びつくものか、結びつくとしても、なんというか、スルー力と結びついていると思う。ある種の話題を見て見ぬふりをするというか、先の倫理的に劣る人への視線のように、しかたないなと見て黙っているというか。
 まあ、こんな話をしていると気取りやがって、お前なんかが最低、下品だよとか言われそうだな。まあ、そういう問題じゃないんだけど。
 まあ、倫理的であることのメリットというのは、一般に言われているものと実は違うというかいわく言い難いことがある。
 ただ、なんというか、少年期に人は、できるだけ、高貴に生きようと思うべきだし、そう思わせるべき大人がいるべきだとは思う。
 ま、そのくらいかな。