祖先というか
人間は自分に都合よく世界を意味づけるから子供の世代とか未来とか考えがちだが、まあ、それはそういうもんとして。
私は自分の祖先とか思うことが多い。先祖とかそういうのと違う。血族とかでもない。
自分の父母祖父母くらいはわかる。
曾祖父母になるとちと曖昧。
そのあたりに明治時代がありそう。
もっとも昔のことだからそれほど流動性はない。
が、江戸時代中期ですら、私の肉体に至る遺伝子のカクテルの元は128人くらいになるのではないか。その128人ってどんな男女だったのだろうかとは思う。
彼らの肉体のパーツを受け継いでいるのだろうなと。
話が少しこけるのだが、昔から、私は、あれこの人と私は同じあの遺伝子を共有しているなという奇妙な感覚がある。似ているなという推測から来ているのだろうが、まあ、あれまあ同じ祖先という感覚である。それはさておき。
で、128人はどういう生き様をしておセックスをしてどうくたばったのだろう。
どのくらいがフツーの人生と言えたのだろう。
よくわからない。
時代の中に消えている。
遠い爺さんの若い時代にタイムマシンで声をかけることができたら、ああここに1/128がなんとなくいるよと言いたい感じもするし、爺さんからは、そのチンコが儂のほこりじゃてみたいにエールが来るかもしれない。
わからない。
彼らは消えた。
私も消える。
時間のなかに消える。
その時間というのは、64個のちんこと64個のまんこという感じがしないでもない。
あるいは、128のちんこと128のまんこである。
あるいは、256のちんこと256のまんこである。
あるいは、略。