はてなを見ていて思うのだけどネットの表街道と裏街道というか

 なんかそういうのがあるような感じがする、というのも曖昧で、ちょっと違うのだが。
 ネットの場合、catfrogさんが先日驚いていたけど、意外とマスは「お気に入り」オリエンティッドなわけで、これはある程度のPVを受けてくると、え?とか思うようになる。ほいでじゃ、その層にどう答えるかというか、答えるべきなのかよくわからない。
 自分についていうと、うーん、正直に言えば、その層に答えようとしている部分は大きい。嫌ったらしいと思う感性のほうが正直なので私もきちんとイヤミとか非難を受けなくちゃねと思うが、それでも、まあお若い衆、finalvent爺の話もお聞きなさいな的なね。モームの「月と六ペンス」を読むと女ってものがわかるぜとか。射精について俳句なんぞひねっているわりにゴムでなけりゃ射精できない元気な若者ももいいけどねとか略。
 で、ネットの表街道は、そういうなんか書籍に近いようなマスがある。上のようなことを書いたけど、私はそういうマスに了解されもしなければ受容されるような才能なんぞないので、少しずれるというか、ネットというのは基本的にサブカルチャーだったし、自分はそういうサブな人間だし略。
 で、80年代以降まさにネットがそうなのだが、サブの部分がメインに見えるような先導的な光景も見える。この辺りはトラップなので、勘違いして頓死する人がいてもしかたがない。というか未だにネットから書籍への経路はない。あるように見えるけど、それは書籍からネットへの経路が勘違いされているだけだ略。
 で、と。
 サブカルチャーの力は裏側にある。裏といってもいわゆる裏だ裏だエロだ違法だというような、わっかりやすいぜの部分にはない。いつももっと微妙なところにこっそり現れて消える。その奇妙な湿地帯の植物のような手触りがネットの面白さでもある。そこに男や女や若さはそういう不思議な存在が開示される。なので、そういう世界に自分が接近していたいし、魅せられてもいる。
 まあ、うまく言えないけどね。
 2ちゃんとか見てもわからないので、Marcoさんとかに、違いますよ全然とか突っ込まれるわけだが、それでも2チャンネルはそういう場ではなく終わった場所のような感じはする。ま、そうでなければそうでないで勝手にがんばりなさいなと思うし、略。
 ああ、ほいで、はてなにおける表と裏の関係についてちと考えたのだけど、というかそれを書くはずだったのだが、略、というかうまくまとまらないな。ブックマークはすでに裏をうまく覗かせてくれないという感じがするし、クラスターブロガーズのなかで湿地があるようには思えない。というかクラスターブロガーズたちは常に表を目指しているんじゃないか。なにか正しいあるべき正義、日本歴史の理解とか掲げて。どうでもいいよ。知るかよ。