ま、ちょっとだけ、ポランニ

 ⇒ポランニー-暗黙知-人はなぜ特定のウェブを再訪するのか? - シリアルイノベーション [ITmedia オルタナティブ・ブログ]
 ちょいと批判に聞こえるかもだが、ちょいと。

World Wide Webティム・バーナーズ=リーが考案した当初から、「知るためのメカニズム」であったと理解しています。あるキーワードやフレーズにリンクが埋め込まれており、そのリンクをたどってリンク先に行く。すると理解が深まる。これを使うことで知ることができる。その本質は、Web2.0の今になっても、そしてさらにバージョンが上がってどれほど洗練されようとも、変わらないのではないかと考えています。

 これはいろんな意味でちょいちょいと違う。簡単に補助線だけ言うと。
 ⇒テッド・ネルソン - Wikipedia
 ⇒Tim Berners-Lee

 我々はリンクされた普遍的な情報システムを研究するべきだ。そのシステムでは、普遍性や移植性の方が派手なグラフィックテクニックや複雑な補助機能よりも重要になる。

 ポイントは、この普遍性。
 ⇒極東ブログ: [書評]あなたは生きているだけで意味がある(クリストファー・リーヴ )
 で、ポランニのほう。

①物事の理解は、その理解に先だって、すでに自分の内面にある。これは言い換えれば、人はすでに(暗黙的に)(=コトバでは説明しにくい形で)理解しているもののみを理解するということに他ならない。
②暗黙的な理解には、身体が大きく関係している。今泉が拡大的に解釈したところによれば、人は、身体の鍛錬によって「型」を習得することにより、暗黙的な理解を醸成できる。
③暗黙的な理解の「かたち」は、理解する対象の「かたち」に似る。というよりも、前者の「かたち」が後者の「かたち」を積極的に規定する。これは、オスカー・ワイルドが言っていた「自然は芸術を模倣する」というのに近いように思われる(未定義状態だった自然に関して、芸術家の暗黙的な理解のかたちが表出されることによって明確な定義が与えられ、その表出に接した人たちにも”見える”ようになる)。

 ①については、暗黙知というのは、知る・理解するという言葉で暗示される情報量ではなくて、ポランニが knowing というように「知ることの働き」という含みがある。つまり、人が物を知るための戦略として暗黙知という働きがあるということ。
 ②「身体の鍛錬」ではなく、知が身体に住み込む(indwell) することで身体が変容するということ。鍛錬や型の習得といった外在的な知識の、身体への application ではない。
 ③これは一種の知識のクラス論のようなもので、人が知る・理解するというのはそのメタ構造を持つからという話だと思うが、ポランニはそうしたものを否定するために、knowingという知識の働きを提示している。
 ま、そのくらい。
 なので、ちょっと前提が違いすぎるのでその先のWWWとの理解についてはあまり言及することができない。
 ポランニ思想で重要なのは、knowingということと、その本質的な動きである、indwellingということ。そしてそれが身体性的な組織を形作ることから、emergence(創発)となるのだけど、ここで難しいのは、emergenceがべルクソン的な elan vital ではないということ。この違いを説明するためにポランニは、harnessということを言い出す。
 ま、ポランニ思想はどうもハイデガーなんかみたいにどうも異質な言語で思考されているので、分かりづらいところが多い。