システム・スルー力がデフォにならないというか

 少し考えれば、というか、ある種のモデル的に思考すると、グーグルとかも当たり前だし、システム・スルー力というのも当たり前なのだが、そう行かない自然性が重要なのだろう。
 基本的に、スルー力が必要なのは、スルーできない心性があるからだ。
 そして、その心性自体は合理性を持っていない。
 ブロガーはなんといっても誰かに伝わってほしいし、理解してもらいたい、というのはあるし、本質をずばっとコメントで返してもらいたいという期待もある(キミからだけの愛の告白っぽく)。
 このあたりの問題は、ブログの公的な性格とのバランスになるだろう。
 というか、公的な性格の枠組みがないなら、あるいは公的であっても専門的な枠組みの場合は、ミクシーとかクローズのほうがいいだろう。
 ふと思ったのだが、勝Pのように対価を取るというのは、システム・スルー力の一つのシステムではあるだろうだろ。
 ブログの分類、モデル化がちょっとはやりみたいではあるが、実際にはある種のもめ事というか interference としてモデル化されるものであり、問題性というは、実は、ブログの適正化のドライブなのだろう。
 ぶっちゃけでいうと、罵倒されたり陰口されたりというのは、全体としてはなんらかの(タイプ分けされるだろうが)効率性を持った合理的な行動なのだろう。
 だから、システム・スルー力というのは、いわゆる足切り的な情報システムではない。
 では、ということろがけっこう面白い課題だな。