システム・スルー力におけるコメントの事実性

 ネタだなと思いつつ、システム・スルー力のことをぼんやり考えていた。
 コメント力ではないが、コメントの意義というか位置は重要だと思う。というか、スルーされていけないコメントが存在するために、悪意コメントとのリスクとバランスして自分のブログはコメントを開けているのだった。
 ほいで、ポイントは。

  1. コメントの重要性は事実性
  2. コメントはたれ込みに機能されてよい

 事実性については、typoの指摘が一番べたものだろう。
 たれ込みをどう見るかが難しい。2ちゃんねるとかがなんだかんだ言われても現在社会にあってあそこしかたれこみないといえばそうかもという感じはする。
 ところで。
 システム・スルー力については、いわゆるPVのあるブログの問題のようだが、たぶん、そうなるパスが存在しているだろうし、実際にはブログが個人の金銭的な利害目的でない限り、一定の限界が存在しているだろう。逆にいうと、一定以上のPVは実際には読まれていないというか別のメディア化している。
 ブログ・クラスターズについても実際には、一定PVへのパスと見なせないこともないが、おそらく底にはある種のシーリングが存在するのだろう、というのは、ブログ・クラスターズは本質的に公的な性質を持ってない。これは掲示板とかもかな。
 
追記 貴印コメント効果の二面性
 貴印コメントとかもらうと、スルー力以前に、それ以外にどうしたらいいこの貴印、とか思うというかそのあたりから眠くなってスルー。
 だが、こういうのが増えてくると、ブログは荒れてくるように見える。そして荒れてくると、ゴミ箱覗くのいやーんということで閲覧者は減る。
 ということは、そういうことで減る閲覧者がブログにとってメリットかデメリットか。
 貴印コメントについては、論外というかルール違反ではなく、あんた貴印?というわけでかく言う自分が貴印人間でない保証はないわけで、このあたりは、正気のルールというのが常識だし、常識が危ういところで言説が成り立つというのもあるから、難しい。