聖書学云々
よろしければ、聖書学を学ぶきっかけについてお聞きしたいです。そして学ぶことで内部的になにがどうなったのかに興味があります。
これは語る時によっていろいろ変わったりします。喧嘩をどっち側から見るかみたいな相の問題。
今思うと、私は、他の領域でもそうだけど、いい加減なウソ教えられると根に持つんですね。それを自分なりに解決しようと。
昨今ではそうでもなくなったけど、私が青春のころまでは、近代日本の倫理の一つの型にキリスト教があったんですよ。そしていろいろな形でそれが浸透していた。その決着で聖書学も勉強しました。たいしたことはしてないんですが、実家の書架からギリシア語聖書やラテン語聖書、辞書なんかごろっと出てきてぞっとするくらいは勉強しました。
あと山本七平、遠藤周作、森有正とか好きだったしとか。
で内部的にどう変わったか。これはよくわかりません。
学問として面白い面が多かったとはいえるし、他に学んだ学問でもそうだけど、基礎の部分が学べてよかったなとは思いました。セプチュアギンタのテキストのギリシア語とヘブライ語の対照、さらにアラム語の推定とか。特に、イェレミアスという人に傾倒しました。神学的にはティリヒ。ただ、そういう面で、優れた先生に出会わなかったのが幸いか災いか、深く学ぶことはありませんでした。イェレミアスとティリヒに傾倒したなんて人が他にいるかどうか知らないですが、まあ、そんな感じ。
今思うと若いときは、どんな分野でもいいから、ちゃんと欧米の学問のコアにぶちあたるといいと思う。アカデミックな人生を進まないにせよ、ああ、学問というのはああいうものかというのがわかると思う。
わかってオメーのような馬鹿かよとか、ネットだと突っ込まれるわけですけどね。