ついでにバルト
私は結果的にはバルト神学的な啓示中心の考えをする人かと思うけど、そのあたりは微妙。バルト神学がよくわからんというかきちんと系統立てて読んだこともないし。ただ、ああ、啓示という考えはわかるなというか。井上良雄の影響とかかもしれないけど。
神学的にはちまちま書いているようにティリヒの影響を受けたけど、今となってはその組織神学にあまり関心はない。説教集をなんども読み返すというか、説教集に見えるティリヒのほうが組織神学のティリヒより重要なんではないかと思う。
ブログを初めてから読んだこれ。
これ⇒極東ブログ: [書評]あなたは生きているだけで意味がある(クリストファー・リーヴ )
この中でリーヴがカルヴァニズム的なキリスト教からユニテリアンやユニヴァーサリズムに傾倒していくのだけど、私も若いころにそういうものに出会っていたら、リーヴのようになっていたかなとは思う。というか、教会と聖餐というものに、生活人としての憧れを持つ。
ただ、自分の根っこの部分のバルト的な矛盾というか、ユニテリアンやユニヴァーサリズムへの違和のようなものは解消されないだろうと思うし、そういう信仰的な関心というのはさすがに無くなってしまった。
若い頃牧師さんに日本人は歳を取るとキリスト教を卒業してしまいますね、と言われたことがある。ある主の倫理的な徳目のなかに解消されてしまうからなのだろうが、いわゆるキリスト教信仰も日本社会にあっては同じようにも見える。そういうものをどう考えるかというと、私は考えるを止めてしまった。
しいていうと小林秀雄と正宗白鳥についてはまだ気になることが多い。ベルクソンも関係しているというか。まあ、このあたりの関心事もけっこう孤独な関心事だが、それはそれで死ぬまで考え続ける課題の一つでしょう。