アリス&テレス

 もともとギリシア+スラブ萌えの私なんかだと、どうもプラトンまでというかプラトンからロシア正教神学みたいなげげげげげに流れてしまうし、スコラ哲学って、スコラでしょみたいな先入観があるというか、こんなもの手間食って考えられるかよ、ヴィトゲンシュタインはてっとり早いぜみたいに思うのだが、しかし、考えてみると、ヴィトゲンシュタインっていうのはまるでプロダクティブではない。大森荘蔵とデイヴィッドソンの違いような。ま。
 で、どうも、アリストテレスかという感じがする。手元に資料がないので、ウィキ頼みだが。
 たとえば⇒デュナミス - Wikipedia

 デュナミス (dynamis) とは能力・可能態・潜勢態の意味を持つ、アリストテレスの哲学の概念である。
 事物の生成とは可能的なもの(例・種子)が現実的なもの(花)に発展することである。これを、前者をデュナミス、後者をエネルゲイアという事を指す。この両概念は質料と形相の関係にも対応する。さらに、その可能性を完全に実現して、その目的に到っている状態のことをエンテレケイアと呼ぶ。可能性(可能態)に対する実現化ゆえ、これはデュナミスと対になる語である。即ち、デュナミスはエネルゲイアと、さらにはエンテレケイアと相対を成す概念であると言える。

 これって、つまり、現代的には後期ハイデガーでしょ? ま、ベタにアリストテレスではないのだろうけど。
 ニーチェハイデガーも哲学者というより文献学者だし、しかし、彼らのいうギリシア的なるものっていうのは、日本人がプリミティブに考えているのとどうも違う。
 っていうか、ラテン語から逃げられるかと思ったあたりが、痛かったか、俺。
 ラテン語というのはギリシア語からの人造語だし、その思想はただのパ・ク・リとたかをくくっていたのだが、どうしても現代には直につながってこない。
 それに、これに、イスラム神学とか中世ユダヤ哲学なんかも関係してくるのだろうな。うへぇ。まあ、欧米でもすでに哲学畑でそれやるやつはいないだろう。
 ただ、どうもこうした素養がコンピュータ・サイエンスに影響しているっぽい。
 まあ、しかし、影響なのか、れいのオントロギーのような悪ふざけなのかよくわからない。
 日本の場合、戦前の独逸哲学、戦後のおフランス哲学が、どうもいかんな。根っこのラテン語的なものから、もっとベタに英語的に移し換えて、その伝統のなかで継承された部分をもっとパッケージ化してよさげな気がする。っていうか、まあ、インターネット世界がそうしたパッケージになりつつあるが。
 それにしても、英米人というのは、なんであんなに糞勉強するのだろうか。
 話はずれるが、批判ではないが。

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対話・心の哲学―京都より愛をこめて: 冨田 恭彦
 違うなぁと思うのだが。
 どう違うんだよと言われてもなみたいな。