そういえばいじめで思い出すが

 私は小学校時代まですごいいやな人間関係に置かれていた。というか孤独だった。孤独である以外に生きる道なんてものがない子供。小児喘息でもありうんちそのもの。大人になっておもうとそんなのはざらにあることだが、みじめな子供時代だったなという内省はある。
 decencyというのか、なんというか、人間に感じるあのおぞましい感覚と対になって、私は、ちょっと誇張した言い方だが、木々や雑草と一緒にいたなという思いがある。私の子供のころの一番の大切な人たちは木々であり雑草だったような気がする。まあ、今記憶をゆがめてそう思うのかもしれないが。
 木々や雑草がいろいろ語ってくれたように思うし、人の卑しさというのを教えてくれたのも彼らだった。野の花が美しいのは美しさが先にあるのではなく、彼ら彼女らにはdecencyというものがあるからだ。ある種栄華とでもいうべきものか。イエスキリストは実在の人間ではないのだろうが福音書に描かれているその人は同じように野の花を見ている人ではなかったかと後に聖書を読むとき思った。