うる星やつらが面白かったころ

 先日実家の書庫などを整理したら、これでもかと恥ずかしい「うる星やつら」グッズが出てきて処分した。お宝もあるかなと思ったが、なんか関わるのがもういやだった。等身大のラムちゃんのポスターとか数枚でてきて泣けた。うる星やつらはアニメの絵はひどかったが、歌はよかった。CD等は以前のオフィスでるんるん聞いていたがオフィスを整理する際に紛失した。平野文のCDとか無くしたのは泣いたが、今思うと、あれを聞くものでもないでしょ。
 思い返すと、ラム萌えというものでもなかった。特に好きなキャラもなかったか。三宅しのぶっていう名前もなんか私の同級生っぽいよな。あのセーラー服とか髪型の重さは時代だな。
 ウィッキを見ると。

週刊少年サンデー (以下「少年サンデー」)」(小学館)誌上において1978年から1987年にかけて連載された高橋の連載デビュー作であり、代表作品の一つ。単行本は少年サンデーコミックスより全34巻。

 全巻持っていたが、沖縄出奔時に処分した。連載もリアルタイムで読んでいた。1978年かあ。最初のころの絵はすげー汚いのだけど、次第にすごく旨くなって、っていうか、ラム別人じゃんになった。アニメの絵はダメ、ころころ変わったし。ついでにいうと、映画もダメだった。
 あの漫画の何が良かったのかというと、空白感だろう。欠落感というか。出てくる主人公すべて欠落感というか。笑っているけど、これは鬱だ氏のうみたいなのばっかなのがよかった。なにもない空白感だけ、笑うっきゃないよな、こたつ猫みたいな世界だ。
 最高のキャラは藤波竜之介だろうな。
 そういえば、昨今ケロロ軍曹を見ているわけだが、吉崎観音って何年生まれかと見るに、1971年かぁ。っていうと、彼は小学生のお子ちゃま時代に「うる星やつら」を見ていたということか。喪失感というのはある似たものがあるというか、悪くいえば、ケロロは悪しき「うる星やつら」のコピーという感じもしないではないが、ナンセンスの痛みが違うなと思う。
 ケロロの場合は最初から父が不在だ。「うる星やつら」だと父は微妙。何人も微妙に影を投げかけている。ケロロでは父はいない。というか、ケロロが「父」なのだ。だからお掃除ばっかりこき使われている。ああいう形で父を取り戻す物語がケロロであり、ギロロはその1/4くらいの父もあるだろう。
 冬樹が僕たち仲良しだよねみたいに語る愛みたいなのが、お笑いではなく不在ではなく語るために、奇妙なかたちで「父」が存在してしまっている。
 という点で、この時代の流れでなにかが癒されたのだろうとは思うが、よくわからない感じもする。
 そういえば、物騒な言い方だが、うる星やつらは、こっそりと、ボクたちは戦争がやってみたかったんだ、というメッセージを持っていた。それがケロロでは戦争が毒のないギャグになってしまった。まあ、もともとのらくろ軍曹のパロディでもあり、そのあたりの呑気なトーンは嗣いでいるのだろうが。