そういえば…フォルメン
を子どもたちを集めて教えようかと思うことがある。自分がまともにフォルメンを学んでもいないし、そこからオイリュトミーに移せる力量もないので、結局、だめかと思うのだが。
昨今街中で子どもたちを見るに、手が、全然だめだ。手の動きがまるでなってない。かく言う私も悪筆の極みなのでしかたないのだが、それにしても手が死んでいるな今の子はと思う。書の訓練がないというのは大きいだろう。また、喰っているものがそれなりの所作を必要としないものでもあるからだ。豆を食えば豆がつまめるようなろうものを。
もう随分前だが、学生に初等数学を教えているころ、ちょっとしたいたづらごころで、7で割るという循環小数がエニアグラムを描き出すことをちょっと説明した。そこに神秘性のようなものを感じる子はあまりなかった。
1/7=0.14285714285714285714285714285714
2/7=0.28571428571428571428571428571429
3/7=0.42857142857142857142857142857143
というように、循環があり(あたりまえだが)、そしてそれはエニアグラムを描く。
これにオクターブの神秘性が重なる…。
というあたりをマジに神秘学に持っていく必要などはさらさらさないが、数と素数とエニアグラムの関連の直感は脳の深いところに呼応するものだと思うが、そうした感覚とふれることのない学問も虚しいのではないか。