マーケティング的にはブログの層をどう…

 支配というか、保有できるか、ということか。
 このあたり、しかし、単純なマーケティングにはならないだろう。
 つまり、ユーザー層が顧客層みたいなわけにはいかない。
 情報の対応に合わせて、マーケティングにある本質的な変化が起きているとは思うのだが、そこがよく見えない。
 類似の問題は、ブログとアドセンスの間にもある。
 というか、基本にあるのは、ブログ閲覧の総人口とそれが費やす時間だろう。これが、増えつつあるのだろうか?
 ネットに流れ込む大衆は、基本的には、SNSかどうかは別として、ある種のつながりというか、連帯を求めている。連帯というのは、この場合、自己肯定だ。
 社会の分散化(階層間のコミュニケーションは無理無理化)が、取り敢えずは、身体的な身近な連帯に結びつくとして(身体的にべたっとした仲良しがだれも欲しい)、が、そういう連帯はお芋だから成立するというか、そもそもドライブの側の孤立感とうまくマッチングしない。単純に言うと、ワタシってこんなバカといっしょいたくないんだけどぉ、である。というわけで、そこを慰撫する連帯がうすーく、細く広がり、それに欲望がつきそうことで、いわゆる資本主義的な運動にもなってくる。というか、単にぺなぺなな消費動向かもしれない。
 話がずっこけるが、実際の経済というか、資本主義的な動向からすれば、大きな商品が動かないとというのはある。不動産とかクルマとか。ITが、ま、結局転けたのは、商品が小さくなかったから、だと思うが。というか、大きな商品に連結できなくなった。
 そのあたりの大きな商品のマーケティングは、たぶん、終わりかな、よくわからんが。
 考えてみると、昔は書籍なども大きな商品だったし(全集なんてのがあった)、大学進学などもそうした類型にあった。今はどうだろうか。進学は大きな商品であるだろうが。
 と、つらつら考えてみると、大きな商品というのは、今後ありうるとすれば、まさに、人身売買じゃないけど、男女のマッチングみたいなものか。結婚とか生活スタイルがリスクの高い大きな商品になるわけだ(夫婦関係はライフスタイルのおまけ)。…ちょっと発想が荒っぽすぎてなんだが。
 あー、介護サービスとかそれか。デリバリー足もみとか、うまく経営すればあたるだろうな。それが世の中にないのは、規制されているからだろう。そういえば、台北にいるとき、足もみのデリバリー頼んだことがあったっけ。