日本人ということ…
自分語りままだが、私は、自分が日本人であることから、より普遍的であるべきだと考えてきた。どういう運命の巡り合わせか、異文化の人々と生活の一部を共にすることもあった。人間は人間である。日本人である以前にその根幹に人間であると思った。その思いは、変わらないといえば変わらない。
ただ、歳を取るにつれ、ある文化の感性というのは外国人には通じない、あるいは、通じることは文学なりを経由するとても難しいことなのだと思うようになった。もう少し言うと、戦後の世界は日本を表向き外国にしてしまった。
下の小林秀雄の言葉のなかに「そういう人間の素朴な感覚には誤りがある筈がないと私は思う」とあるが、この「人間」とは「日本人」ということだろう。それを、中国人にも韓国人にも直線的には通じるわけもない。文学や宗教はそれをなしうるかもしれない。そして、人間の精神のなすべきことはそういう仕事なのかもしれない。
ただ、しかし、私は、自然に、ただ、日本人であり、そうした情感の感性のなかに深く沈んでいることに気が付く。そして、そうしてみると、実は、そのように日本人であることは、それほど、たやすいことでもないようにも思える。もちろん、そういう言い方は傲慢だし、私だけが日本の心を知っているかのように聞こえるだろう。そういうつもりはない。
ただ、言いづらい、なにかが違う。宣長と秋成の論争など、近代人の目で見れば、宣長はただのキチガイである。いや、彼がキチガイなどでないことは秋成がよく知っているからこそ、いきり立つのだが、宣長は相手にもしない。ただ、罵倒しつくす。宣長の心中には、率直に言って私にはわからないものも多いのだが、これだけはわかる、宣長は秋成に、日本人の心から物を言え、と、言っているのだ。それが、あの局面では極めて非合理になる。そうした非合理性を宣長はよく知っていたので、世にある間は世に合わせていた。本当は死のありようにおいて、その日本人の心なるものを示したかったのだろう、ということを、小林秀雄は見抜いていた。「本居宣長」がその遺書に始まり遺書に終わるのはそうしたものだ。そして、小林はきちんと宣長がそうした死の世界をどれほどか忌むべきとしていたこともあきらかにしていた。その心の機微のなかに日本人の心がある。日本人の思想というものがある。もちろん、思想となった思想は、宣長の思いからは離れてしまうものではあり、篤胤の思想などに変容してしまう。