考えるヒント 3



著者:小林 秀雄

販売:文藝春秋

価格:\490

媒体:文庫



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前に「きけわだつみのこえ」に触れましたが、あの本を読んだ時、直ぐ気附いた事があった。が、言えば誤解されるだけと考えて黙っていた。それは学生の手記に関してではない。編輯者達の文化観の性質についての感想であった。手記は編輯者達の文化観に従って取捨選択され、編輯者達によってその理由が明らかにされていたからである。戦争の不幸と無意味を言い、死に切れぬ想いで死んだ学生の手記は採用されたが、戦争を肯定して喜んで死に就いた学生の手記は捨てられた。その理由が解らぬなどと誰も言いはしない。理由は条理が立っているのである。ただ私は、あの本に採用されなかった様な愚かな息子をもった両親の悲しみを思ったのです。私は、そういう親を知っていた。彼は息子を軍国主義者などと夢にも思っていなかったし、彼自身も平和な人間であった。戦犯が死刑になる世の中で、戦歿学生の手記が活字の上で裁かれるなど何の事でもない。それはよく解っているが、そこに何の文化上の疑問も抱かないということは間違っていると思います。文化が病んでいるのです。或学生は、死に臨んで千万無量の想いを、一枚の原稿用紙に託するつらさを嘆いていたが、みんながみんなそうだったであろう。遺言にイデオロギィなど読んではいけないのである。私は編輯者達の良心を疑いはしないし、揚足が取りたいのでもない。誤解しないで戴きたい。だから問題は微妙だと言ったのです。たとえ天皇陛下万歳の手記が幾つ採用されていたところで、どれもこれも千万無量の想いを託した不幸な青年の遺言であったという事に関して、一般読者は決して誤読はしなかっただろう。そういう人間の素朴な感覚には誤りがある筈がないと私は思う。編輯者達は言うかも知れない。私達は感情を殺さねばならなかったのだ、と。進歩的文化の美名の下に、であるか。彼等は、それと気付かず、文化の死んだ図式により、文化の生きた感覚を殺していたのである。

 私が小林よしのりにそれほど共感しないのは、それが、こうした戦後の文化のただの裏返しにしか見えないからだ。お国のために死んだ青年も、その死を厭うた人間も、ただ、歴史の悲劇のなかにあったのであり、どちらがどうということでもない。
 ただ、小林秀雄がここでいう文化の死んだ図式というのが、戦後というものであったとは思う。戦後の世代も、それに続く団塊の世代も大雑把に言えばそこを出ることはなかったようにも思える。