イエスという男

 私は宗教もキリスト教も実際の自分の課題としてはわからなったし、わかりたいとも思わない。信仰なんかもいらない。
 ただ、なんだかわからないが、イエスというセムの男をずっと問いかけてきたように思う。歴史的には存在しないかもしれないイエスという男。
 なぜかといえば、こいつは、決定的な問いかけを自分に刻んでいるからだ。それが本当に決定的なのだから、しかたないなと思う。
 仏教には、イエスのような人格神はあるようなないような、不思議なバラエティがある。そんなものは窮めることもないのだろうが、例えば、道元は如浄をかたときも忘れなかっただろう。それが、道元のイエスであったようにも思う。こういう言い方は拙いし、別に神秘的な言い方をしたいわけでもない。
 忘れられない絶対的な人がいる、というだけのことだ。
 こうした絶対的な人格がなぜこの世に存在するのか? いや、この世のありかた、ハイデガーのいう世人でありえない人格、それ自体が神的な存在でもある。
 イエスはこの世に勝ったとキリスト教徒は言う。そう信じている。私は信じない。私は理解しているだけだ。