すごいことになりそうだ

 ⇒NHKニュース 会計検査院 地方交付税検査へ

会計検査院は、去年、検査の対象とした12の道府県すべてで、国からの補助金など8億円余りについて、裏金にしたり、物品の購入に流用したりする不正なケースが見つかったことから、ことし、残る35の都府県と政令指定都市についても検査を進めることにしてます。これに加え、国が自治体に配分している地方交付税についても、ことしから本格的に検査を行うことを決めました。

地方交付税は、一般会計の18%近くに当たるおよそ16兆円に上っていて、会計検査院は、使いみちなどを詳しく調べることにしています。

 すごいことになりそうだ。

快晴

 妙なくらい静かだ。東京の人口が少ないのか空気も澄んで富士山もきれいに見える。
 夢はいろいろ見たが忘れた。眠りが浅い。無意識のなかでいろいろ議論しているようで、眠りながら脳が疲れている。むずかしい本というか、思考をしいられる本を読んでいるのがいけないのかもしれない。

正月から泣きたい増田

 ⇒泣きたい

自分はまだ引きずっているみたいだ。この先どれだけ苦しむのか想像も出来ない
でも、もう引きずりたくない。どうやったら荷物を断ち切れるんだ
今から寝て起きたら仕事だ。早く気持ちを切り替えねば。泣く前に一歩でも前に進まないと

 だんだんと、いろいろと麻痺していくもんだよ。
 そうして麻痺している自分にはっと気が付いて、ずっとたってから泣くこともあるよ。

タバコ香料

 ⇒asahi.com(朝日新聞社):たばこ「味の秘密」公開 JT、添加物350種類を開示 - 社会
 セブンスターはトンカ豆のクマリンを使っていたはずと思って見たけど、わからなかった。違ったか。ホープは蜂蜜だったかな。
 バーレイの場合は着香がタバコ作りの技術になる。

直感みたいな

 ジェインズの本を読みながら、
 ⇒年末読んでいた本 - finalventの日記
 ときどき、ああ、これだこれだと思うことがあった。ジェインズの直感というか、疑念の重なりのなかでこう考えればシンプルなんじゃないか、こう考えることは間違いではないか、というのを、剃刀で切るようにすぱっと見渡す直感がひらめくあたりだ。
 今思うとああいう、無意識的な直感で、すぱっとものごとの本質がわかってしまうようなことは30代まではあったなという感じがする。思い返すと、40代以降はあまりないような気がして、そして50代になった自分は、直感というものはあるんだけど、あの、すぱっ切れるような直感はなくなったなと思った。
 逆に自分が正しいと考えていることについてなぜそれが正しいと自分は思っているのだろうかという疑念のほうをじんわり考えるようになった。
 自分にとっては自明のことでも、世間的には自明ではない定説ではないという部分については、あまり語らない。語っても意味がない。ただ、気鋭の学者というか信頼できそうな学者が少し踏み出して言うときはそれに便乗するかなというのはある。
 二分心については、自意識を疎外して他者化していくという心的な機構つまり機能論と、実際の左右脳の構造として見る部分つまり構造機能論には方法論的な齟齬があり、ごっちゃにはできないし、科学の水準だと後者の構造機能から論じることになるが、前者が議論できないか推論になる。ただ、ジェインズの直感はそこの、区分めいた方法論へ果敢に挑戦してしまっている点がある。
 ジェインズが生涯を掛けて問うた意識の起源は、吉本と同じように共同幻想の起源でもあり、まさに人類的な課題なのだが、思索者によってその総体をどう捉えるかに奇妙なズレのようなものがある。
 そうした部分を若い時は、すぱっと切れないものかと、つまり、理論として整合できるのではないかと思っていた。が、直感的な部分が衰えてから、そうではない、人が一生を掛けて問うた問いの意味というのを受容することで自分の思索・存在が逆に問われるように思うようになった。
 ああ、ベルクソンはそう考えるのかということがわかれば、それ以上はないというか。ベルクソンの哲学を哲学史に位置づけるといったことはベルクソンの哲学にとって意味がないというか。そして実にベルクソンという人はそういう思索をしている。小林がそこで蹉跌したかに見えるのは、ベルクソンという人に帰着して終わったからで、では、本居宣長という人に向かおうとしたのだろうと思う。れいの「身の丈」の思想とは、生活者としての思想ということではなく、人の死をかけたのっぴきならぬ問いに全生涯をどうぶち当てたかということなんだろうと思う。ただ、その割に、宣長も小林も女を隠したなと思う。
 恋をするといことは、おそらくそうした全生涯の思索の不思議な種を撒くことになっているのだろうと思う。吉本隆明の人生にもそういう奇妙な結実があるが、あまりこれも語られない。
 こういうふうに言うことは間違いでもあるのだが、男が恋をしてそこで死ねるという確信を得るために女との恋があり、それが(恋の世間的な結実如何は別としても)男の一生の実際の死までのその意味化のプロセスを意味づけるのだろう。その遅延のなかに、共同生というものが問われるためのズレなのだろう。女はというとそこはよくわからない。

民族国家という共同幻想は宗教と同じものだよ

 っていうことがわかってなくて既存「宗教」を、特権的な位置に自分を無前提に置いて批判しても、たぶん、無意味だと思いますよ。
 あと、西洋キリスト教一神教というのは日本人の誤解ですよ、たぶん。

20090102105826
異教としてのキリスト教 (平凡社ライブラリー): 松原 秀一

気をつけてもムダだよね。この5つ 〜年のはじめに〜

  1. 年をとればとるほど、若い人に期待を感じますが、達成しません(自分が若い時を思い出せよ)。気をつけましょう。
  2. 何かに詳しくなればなるほど、その分野での新しい動きやアイデアを説明したくなりますが、トンデモと言われるだけです。気をつけましょう。
  3. 何かを得れば得るほど、それを得たのはただの偶然だと思い込みたくなりますが、それじゃ自己啓発系のブックマーカーのウケが悪すぎます。気をつけましょう。
  4. 持つものが多くなればなるほど、人は動けなくなってしまいます。嫁は一人まで(二次元は限界なし)。気をつけましょう。
  5. うまくいかないことが続けば続くほど、明日もきっと暗いに違いない、と思いたくなりますが、ただの真実は言っても空しいだけです。気をつけましょう。

 
おまけ

  • 楽しいことがなければ自分の愚かさを愉快に笑いましょう。あははは。

 
inspired by 気をつけたいよね。この5つ 〜年のはじめに〜 - Chikirinの日記

年始に読んでいた本

cover
安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書): 山岸 俊男
 標題や、糸井重里自筆の帯で誤解していたけど、これは、いわゆるイデオロギー的とか、糸井的な説教めいた本ではなく、システム工学的な本で、なんというか、理系な感じの本でした。ゲーム理論というか経済学に近い本。
 つうか、非常に面白かった。勧められて購入したときにざっと速読していたのだけど、結論より、その方法論が面白い本ではあった。もちろん、出てくる常識をやぶる結論も面白い。
 最終章に書いてあるけど、こういうと語弊があるがいわゆる三流大学と一流大学の学生の差異が、入学後に社会システムを想定されて出てくるというあたりは、驚いた。私は、大学間の差異は、個人の知的努力でなんとかなるでしょ、というか、日本の大学ってわからんなとか、あまり関心を持っていなかったのだが。そして、本書でいうヘッドライト型知性をどのように、大学生時代に補うか、というか、その後に補うかという点で、ある種の教育的な仕組みが必要だというあたりで、以前にちょっと書いた、はてなの教育NPO的な部分の意味を連想した。現状では、率直にいって、Webアプリの技術者くらいにしか開かれていないけど、はてなみたいな集団がこうした知を補う機能がもてるとよいのではないかとは思った、が。
 が、というのはすでにその期待の臨界は越えているし、ネットの知性は、率直に言って、社会的な機能としては崩壊しているのではないかなと思う。衆愚というより、各人が参加することで、参加した「心」の心因的な様相が、匿名的な不信感とSNS的な馴れ合いとともに、カルト的な小集団間とその軋轢の妙味を生んでしまている。できるかぎり知的なイスタブリッシュメントを引き下ろすか(アルファブロガー笑)、その崇拝(なんとか先生に従うキモイ集団)という光景に収斂していきそうなのは、前提としての社会的な孤立というか、これもやや言い過ぎな比喩だけど、ネットの空間が三流大学化していることだろうし、そのことが、知のイスタブリッシュメント側に利益がある均衡ができてしまいそうだ(ネットで情報を集めるのはバカだよ的な)。
 別の言い方をすると、知的な対立が信条的なもの、あるいは心因的なものに還元される議論の対立、しかもそこでの「真理」とは解答集みたいに書かれてフィックスしたもの(ググレカス的な)、という枠組みの対立は、まったく不毛でしかないというか、もともと議論というより、集団の閉塞的な共感を原因としているのだろうと思う。むなしい。
 余談が多くなったが、この本はとても面白かった。
 書かれていた時代が小泉バッシング以前なので、今の文脈から切り離されているのも距離感としてよいと思う。
 展望としては、山岸俊男の望むような信頼社会は形成されないのではないかと思う。というか、信頼が形成される地域のシステムが重要なのだろうが、そこは当然ながらある階層的な閉鎖感が伴うだろう。ちょっと飛躍するが、偽善の善意の空間と、救いようのない空間と分離してしまうのではないか。まあ、結論を急ぐより、本書のこの手の思考方法に慣れたほうがよさそうだ。つまり、局所的にも合理的な政策の可能性として。(ただ、たぶん、マクロ経済学の知見のように無視されるのだろうなとは思うが)。

アメリカ合衆国が50個に分割された日

 1959年。
inspired by アメリカ合衆国が6つに分割される日:Garbagenews.com
 
あるいは。

アメリカ合衆国が6つに分割される日

  1. アメリカ本土
  2. アラスカ
  3. ハワイ
  4. 日本
  5. 中国
  6. キューバ