日経春秋 春秋(3/11)
この問題、根っこにはいろいろとアレだよな。アレ。ブログ村でも唖然とするような結果になったりとかめいっぱいほのめかしてみますた。
朝日社説 捕鯨問題―この機に対話を深めたい : asahi.com:朝日新聞社説
いま大切なのは、こうした声を背景に、捕鯨そのものは人道に反さない、という考え方を広めていくことではないか。自らはクジラを食べずとも、食べる人がいることは受け入れられないか、という働きかけである。
そうすれば、少なくとも沿岸の商業捕鯨には道が開けるのではないか。
そのうえで資源管理の主張をすればよい。そこでは南極海のミンククジラの生息数などについて、捕鯨国に有利なデータもある。
残念でした。それで通じる相手じゃない。
6月にはチリでIWC総会が開かれる。クジラも舌を巻くような理性的な会議にしたいものだ。
このセンスはさすがについて行けない。というか、この社説をべたに翻訳したら国際的には反感買うと思うけど。
快晴
小汗をかくくらいの陽気になりそうだ。夢は覚えていない。昨晩は久しぶりに寝付きが悪かった。
今日の増田
あまり騒ぐと大魔神召喚かも⇒20から30代で子供を作るのに明確なメリットはあるのか?
では理想的な子作りとはなにか考えてみる
60まで仕事と遊びを満喫し、
定年退職したら20代前半の若い娘と結婚し、子供を作り、
老後の趣味として子育てをやる。
ということになるか。
まあ20代前半の娘というのは難しいけど、30代の行き遅れた女なら可能性もあるだろう。
⇒http://anond.hatelabo.jp/20080309212453
だが実際60になって20代の若い娘を口説いてセックスまで持ち込む気力と体力が残っているかどうか。
そうなったらそうなったで、無理して子供つくる必要もないんだけどな。
⇒http://anond.hatelabo.jp/20080309212453
60代ってのがちょっと極端なだけで、これが40代や50代前半なら全然有じゃないかと思った。仕事はいつかは飽きる、飽きるというのとは違うがむなしくなる瞬間が来るが、男30歳はその境地に達するには早過ぎるだろう。
なんというか、60過ぎまで生きていてチンコ勃つと思っていてというかそれ以前に女が相手にしてくれると思っているあたり若いなあとか思うけど。けどまあ40を越えた厄年あたりで考えは自然に変わるだろうし、それと変わるというのはちょっと微妙で、50代くらいで20代から30代の女を事実上めかけにして子を産ませるみたいなパターンはけっこう多い。
あれは古波蔵さんのエッセイだったか誰のエッセイだが、フランスの三つ星レストランとかいくと老人男が若い美人の女性をつれている風景が多いが、娘であろうかとか書いていたが、たぶん、愛人でしょ。普通の売春婦とかだとそういう待遇はしないんじゃないかと思う、西欧の場合。日本は売春婦に惚れてなんかもんくあっか勝海舟だけど。
ただ、愛人以外に娘ということはあるというか、正直にいうとそのあたりよくわからない。いやちょっと想像すると、70歳くらいで25歳くらいの女がいるというのはサイクル的には孫なんだが、たぶん、妾の娘なんじゃないかと思う。
ついでに。
⇒http://anond.hatelabo.jp/20080309212453
というか60までそんな幼稚な考えでいくのかwww
誰も相手にしてくんなそうだぞ。
俺は35歳だが、さっさと子供が欲しい、いま頑張ってる。
子供は親の遊び道具ではなく、子供が親の教育をしてくれる
子供を育てることにより成長する側面が大きいと思っているからだ。
⇒http://anond.hatelabo.jp/20080310235045
成熟は人生の敵ですよ。
35歳ならそのあたりを薄々でも感じ取っていい年齢だと思います。
それはそう。ただ、そこは微妙かな。
私などは原点においてというかティーンエージで老いがあった。人生オワタ感というか。そしてなんというか人間が成熟していくというモデルそのものへの忌避感があった。この先はネガコメ食らう領域になるが、50歳になって成熟感なんかさっぱりない。
ただ、厄年越えて、死がべたな接近してくると、生きていくのはけっこうしんどいなと思うし、精神の普通の営みというか個性化の過程で、生きていくために必要な精神のステートというかメンター的なものが欲しくなるのだが、そのあたり、小林秀雄とか山本七平とか道元だの古典とか読んでいると、楽、というか、年を経るに理解できる精神の図のようなものがあって、それは老いを受容するというより、生きていくってまだ未知な領域があるなという不思議な感じがする。
どこを東京ってするかが微妙なんだけど増田
どうも最近メディアで騒がれるほど世の中が変わってないような気がする。
いや、かろうじてまだ日本2番目の都市圏である大阪市周辺に住んでる者の意見なんですけど。
「ケータイ小説」「ネットカフェ難民」「セカンドライフ」って聞くけど、
これらの事と関係がありそうな人に会ったことがないんだよね。鈍感なだけかな?
東京と地方経済って格差が開きすぎて別の世界になっちゃってる感じがする。
私は世間を眺めているのが好きな人なのでぽっつり人生の傍観者なのだが、「ケータイ小説」「ネットカフェ難民」「セカンドライフ」とかは見ようと思えば見れるのだけど、敷居があるなという感じがある。あれ、昔のビニ本屋の入り口のケバい暖簾の向こうの世界みたいに。で、そうではなく、普通の風景で見える世界、コンビニとかスーパーとか公園とか普通に電車の中とかそういうところはまた違ったものがある。ある意味で、ぞっとするような崩壊した人間がいるなと思うことが多い。昔も酷かったといえば酷かったけど(特に昭和30年代の公衆トイレとか)、異質な何かというか。
ネットでいうと、洒落が通じないことが多いなというのと、偉いの反対は偉そうな人が多いような気がする。というか嘲笑すると偉くなれると思っている人が多いけど、知性というのはむしろユーモアのセンスなのに。
金柑の食べ方
⇒今日の衝動買い : U3MUSIC INC
中国人がみかんを食べるようにそのまま皮ごと囓って食う。
そういえばマキャベリの「君主論」だが
新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO): ニッコロ マキアヴェリ,Machiavelli,池田 廉 |
ま、それはどうでもよくて。
⇒君主論 - Wikipedia
26章からなり、歴史上の様々な君主および君主国を冷静に分析し、君主とはどうあるものか、君主として権力を獲得し、また保持しつづけるにはどのような能力(徳、ヴィルトゥ)が必要かを論じた著作である。
ま、それもどうでもよくて。
問題は、この「君主」なんですよ。
著作には表題はついておらず、友人ヴェットリへの手紙の中で「君主体制」に関する本を書いたと述べているため、「君主論(Il Principe)」と呼ばれるようになった。
まず、表題はなかったということ。
そして、ここでいう「君主」とは、Il Principeということ。
英語でいうと The Prince 。
⇒The Prince - Wikipedia, the free encyclopedia
The views expounded by Machiavelli in The Prince may seem extreme. However, his whole life was spent in Florence at a time of continuous political conflict. Accordingly, the main value that Machiavelli emphasized was the need for stability in a prince's domain.
つうわけで、"stability in a prince's domain"のこと。
プリンスとかプリンシパリティの問題なのな。
⇒極東ブログ: リヒテンシュタインについてのつまらない話
厳密にいうと、日本の君主は、The Princeじゃないので、マキャベリの「君主論」で日本国を議論するというのは、ちょっと滑稽感はあるんだけど。ついでに、皮肉にとらないでほしいんだけど、雪斎さんとこにマキャベリの肖像画が貼ってあるのを見ると、日本国を侯国と見ているかもという印象もあるので、右派とは言えないんだろうなと思う。
そういえばついでに「星の王子様」だが
星の王子さま (新潮文庫): サン=テグジュペリ,Antoine de Saint‐Exup´ery,河野 万里子 |
プリンスだから、「君主」。
"Le petit prince"というのは、「侯国の小君主」ということ。べたに言うと、「星の王子様」は誤訳。
そのあたりを配慮した表題の新訳があるかと、ざっと見るとなさげ。
が、ウィキペディアはさすがだな⇒星の王子さま - Wikipedia
というわけでくどいけど⇒極東ブログ: リヒテンシュタインについてのつまらない話
本来は「王子」というのは誤解であり誤訳である。“prince”は王子という意味のほかにも小国の君主(通常は「公爵」「大公」と訳す)という意味もあり、この作品では後者の意味に解するのが本来は正しい。「王子」は、自分の小惑星の支配者であるし、また「un bien grand princeなんかになれそうにない」というセリフからも、“prince”は「王子」ではなく(君主としての)「大公」であることがうかがわれる。とはいえ、「王子」という解釈と訳語はすでに定着したものであるからそれに従うものとする。