今日の大手紙社説

 話題は、民主党叩きという印象があったが、私は特に関心ない。国会というのはそういうものだという以上はないように思えるからだ。
 ガソリン課税については大筋では国家を小さくするという点で引き下げるべきだろうが、では国に国民が依存してできた赤字はということもある。あと、身近で車を繰っていると道路整備は田舎の問題というより都市も問題だろうし、まだまだ投資が必要だろう。
 日米株価の問題は、印象では、石油と同じで投機的なバカ騒ぎのように思える。日本の市場は外人向けなんで、結局は日本が儲かる市場かどうかなのだが、これだけ成熟ししかも拡大しないという路線を事実上選んでいるのだから、あと売るといったらまさに日本のリソースを売るしかない。というスジで考えるとそのあたりから動きが予想できるが。ただ、日本のリソースというのはあの塩漬けの貯蓄ではないでしょうと思うけど。

日経春秋 春秋(1/22)

そろそろ真剣に、9月あるいは10月入学を検討してもいいのではないか。世の中にはいろんな年度がある。日本でも、生糸年度は6月、いも年度は9月、大豆年度は10月開始だ。生産や出荷のリズムに合わせて設定されている。学校年度をいつまでも国の会計年度に合わせる必要はない。

 これな。つまり、6月卒業というのが可能になるという意味もあるんですよね。

日経社説 次世代ネット 透明なルールを

 これ、不用意に言及してはいけないのだけど。

 他の事業者がNTTを警戒しているのは、同社の光接続サービスのシェアが7割を超え、再び独占体制に近づきつつあるためだ。KDDIが先週、電力会社の光通信事業を再び買収したのは、NTTへの依存度を少しでも低くする狙いがある。

 ここがポイントで、NTTが勝つと、というかすでに勝ってきているようだけど、その上にIPが載るしかなくなるので、結局、ただのりインターネット時代が終わる。
 相応の課金ということになるのだろうが、ただ、この変化はじわっと来るだろうし、たぶんもっと大きな別の変化に隠れて進むだろう。

毎日社説 米景気対策 悪循環を断つには力不足だ

 これが難しい。大雑把に見ると悪いスジでもないようなのだが、まず毎日新聞がこれを言うのが理解できない。同じことを毎日新聞は日本にも言えるのだろうか。また、15兆円で足りないというのはわかるのだが、この社説は「そのためには、公的資金の投入など、米政府は早期に抜本的な措置をとる必要がある」というのだから、さらに投入せよということなのだろう。が、そう見ていくと議論は破綻するだろう。
 バーナンキはやるなら15兆円でしょと言っている。ただ、これはやるならその程度でありその程度までという含みであってこれで解決するわけでもないし、これ以上が必要という意味でもない。この点、バーナンキは的確だし、本人としては自分の「分」を明確にしているのだが、諸肌脱いで立ち向かうという感じではない。無理だとわかっているからかもしれない。

今日の、これね


 それは、ころね。
 で。
 ⇒実は…間違えて音読していたコトバランキング - goo ランキング
 まあ、これは無理かなが多い。
 依存心(いぞんしん)で変換したな。これは音便化でしかたないでしょう。
 間髪を入れず、ありゃ変換しますね。これは「かんはつ」と読ませるのはそろそろ無理っぽい。「やもうえない」も「やむをえない」だけど、それを言うならみたいな変化。
 河川敷(かんせんじき)で変換する。このあたりは官僚用語か。NHKが「大地震」を「おおじしん」と読ませるように。
 河川敷も音便の類。清音が正しいというなら、あれ、柳田国男折口信夫とか。
 ⇒柳田國男 - Wikipedia

なお柳田の読みは「やなぎだ」ではなく「やなぎた」である

 まあ、辞書はそのあたりきちんとしたほうがいいけど。
 ⇒折口信夫 - Wikipedia

折口 信夫(おりくち しのぶ、明治20年(1887年)2月11日 - 昭和28年(1953年)9月3日)は、

 あと、軽井沢、だけど。父方がこの起源なんで耳で覚えているが、「かるいさわ」と清音が多かった。「かるいざわ」が間違いではないけど、その音の違いで住民かの感じはあった。
 あと、秋葉原
 ⇒秋葉原 - Wikipedia

かつては「あきばはら」「あきばっぱら」「あきばがはら」「あきばのはら(秋葉の原)」と呼ばれていたが、秋葉原駅(あきはばらえき)ができて以降「あきはばら」という読みが定着し、後に地名の読みも「あきはばら」が正式なものとされた。ちなみに、「あきはばら」の読みは、秋葉原駅の駅名をつける際、秋葉原の読み方を知らない鉄道官僚が勘違いして付けたことで生まれたものである(同様の例は、他には尾久駅高田馬場駅、熊谷駅などがある)。

 しかしこれもしかたないでしょ。
 詐取はこれも用語かな。詐術という言葉は私もよく使うが、たぶん、普通は使わないでしょう。吉本隆明用語っぽいが。
 重複、は、私も「ちょうふく」。そして、発掘は「ほっくつ」、確執は「かくしゅう」、このあたりはクセみたいなものか。あるいは育った知的な環境などの影響があるだろう。
 というか、読みはその一端であって語彙とか考えかたとかそういう部分に家柄は出る。家柄とかいうとはてなでは嫌われるけど。
 ついでにその。

 4位の《野に下る》は思わず「のにくだる」と読んでしまいそう。普段あまり使われない言葉なのでなじみがない方も多いかもしれませんが、「官職を退いて民間の生活にはいる」という意味です。

 これが普段使われないということが困ったことなのだけどね。

8位の《あり得る》も「ありえる」と読んでしまいがち。「ありえない〜」という単語が一般化しているので「ありえる」でも意味は十分に通じますが、正しくは「ありうる」と読みます。「考え得る」などの場合は「かんがええる」ではなく「かんがえうる」と使いますよね。

 これもどうしようもないでしょう。「ありうる」とした場合、対応する否定形はもう普通の日本人には語感がないのでは。これは、「ありうべからざる」かな。道元を読むと「うべからず」がよく出てくる。道元という人は、中国語と漢語と和語の3つの語感がかなりしっかりした人だったようだ。が、思考しだすと、そのあたり面白い揺れがある。道元の人柄は和語のなかと、漢語と、中国語と3つの相があるように思う。

ムネオの深み

 けっこう深みもある⇒宗男日記から - 鈴木宗男ランド ブログ by宗援会

 自民党は世間の空気が読めない。実は民主党も読めない。小沢だけ自信満々だ。ただ、小沢には孤独の影があり、民主党という組織にどっしりと根を下ろしている感じがない。
 16日の記者会見は、国会の新テロ法案採決欠席を正当化する牽強付会の言い訳が話題だった。戦略だけでなく、小沢のさまざまな逸話が煮詰まってゆく年になりそうだ。

 まあ、小沢はもう死んだ気でいると思う。彼は余程運が悪いようにも見えるが、およそ政治をするということはおういうどたばたを引き起こすといういい事例にもなっている。

ちょっと釣られる

 ⇒荒川静香な目線 - 俺のターン

自分が、ある一定の年齢以上のアルファブロガーとかの恋愛・出会い論に首を傾げて茶々入れるのは何でだろうと考えてたんだけど、理由はここで書いた荒川静香伊藤みどりのようなもので、

 アルファブロガーはさておき。「ある一定の年齢以上」だけに局限して、「恋愛・出会い論」関連だけど。
 ま、つまり、私の、「恋愛・出会い論」みたいなこと、を、また。でも、ちょいと。
 結論だけ言うと、恋愛は無意識、出会いは運命(啓示)。
 恋愛というのは、自分の無意識が決めている。昨今の言い方だとDNAが決めている?まそれはひどすぎるか。でも、大枠は無意識が決めている。で、ややこしいのは、無意識が決めているのに意識でそれを踏みにじることはできる。ま、それが人間存在っていうものかもだけど。そして、無意識が決めるというは本当に無意識が決めるわけで、「無意識が決める」という意識が決めるわけではない。よく、「身体が知っている」系の人が、身体が決めるとか言うけど、言う分、実は意識。
 とはいえ、恋愛というのは意識を越えたところにあり、無意識の自分がすでに奪い去られるという事態でもあるので、いわゆる議論とかはそういう事態ではそれほど意味はない。
 ただ、いわゆる恋愛というのは、この無意識と意識の葛藤を指すし、そして、実際には、母子関係(親子関係)と無意識の疎外としての恋人を生み出す。しかたがないプロセスでもあるのだろうけど、この幻想関係は、なんというか、生活を実務的にこなせる能力がない人だと、ぼろぼろというかずたぼろというか、だめだめになる。
 このあたり補足していうと、恋愛ができるのは、ご飯が作れて、人に食わせることができる人なんですよ。ま、すごいネガコメ食いそうな意見ですが。
 で、出会いは運命、というか、啓示。どういう出会いになるかわからない。邂逅というのは人生の不思議。そうい越えた部分に出会うからみたいな、そういう人生の契機というか啓示というかまあ、そんな。
 ただ、これもさっきの嫌われ意見的にいうと、そういう場が身体に先行するわけだから、時間の共有が重要になる。つまり、出会いの場に出ていくという、出会いの場と自分の関係が問われる。で、その場というのは、結局、生きて仕事をしていく場なんで、いわゆる出会いのセッティングの場ではない、というあたりで、栗先生のお考えとはまるで違うでしょ。
 で、こうした話、つまり、恋愛・出会い、というとき、その枠組みが結局は問題。古い採点方式というより、恋愛とか出会いとかはどういうフレームワークにあるか。
 これは、私は、キタキツネと同じだと思う。モグラとも同じ。
 大枠で生物の生存戦略があり、そして個体の個性化の責務がある。
 つまり、恋愛とか出会いとかは、それから生きていくというサバイブのなかで意味づけられる。
 そう、べたに「あなたがいないと生きていけない」という生存の、個性化を通した問い掛けが恋愛とか出会いにある。
 のだけど、昨今の「恋愛とか出会い」というとき、すでにそういうフレームワークないでしょ。
 最初に「自分がいる」というモデルになっていて、そのアトミックな存在の関係として恋愛とか出会いとか、つまり、個性化が前提になっている。
 でも、やはり、ここはライフサイクル、ライフプロセスのフレームは逃れられないと思う。
 というか、サバイブのプロセスがライフプロセスの過程にならざるを得ない。べたにいうと、その過程のなかで、生物はリプロダクションをしていくわけで、つまり、子どもを産み育てる。
 そういう大枠のフレームワークというのは、知識ではどうにもならない。子どもを産み育てるというのは、もう無意識の側の自分に頼るしかないし、そういう生物の流れのなかにしか存在できない。
 別の言い方をすると、昔の栗本さんが言ったように恋愛は性欲。で、その性欲からその流れのなかの責務に至る愛みたいなもんをどう獲得するか。
 でも、このあたりで、絶望的なことを言うと、そういう獲得それ自体が、種の集団性のなかで経済学的に配分されているように思うとかいうと曖昧なんだけど、つまり、そういうライフサイクルは実は個性化の関係において集団の配分になる。全然、つまり、になっていかないか。
 恋愛とかのなかで個性化を選ぶということが、現実的には、生物のリプロダクションにならないように選択された個体は、全体の生存戦略のなかで決められているということで、そのための快楽の配分もある。
 逆にいうとそういう快楽にむなしさを覚える個体は、リプロダクションのライフサイクルに入っていく。し、そうでないのは快楽がその個体の人生の意味になる……というか、そこはちょっと微妙で、老年期あたりでもういちど揺り返しはありそう。

増田的中二病的ポエム

 ⇒

死ねばいいのにどうして生きてるの。
死にたくないから生きてるの。
生きてて楽しいの。
ぜんぜん楽しくない。
これから楽しくなりそうなの。
ぜんぜん楽しくなりそうにない。
じゃあどうして生きてるの。
死にたくないから生きてるの。

 ま、そうかな。
 死んでもいいから生きているというのもあり。
 これ読むといいよ。
 これ⇒「 ようこそ地球さん: 本: 星 新一」

今日の増田に答える

 ⇒

はてな界隈を見てると、世の中には病んだ人が多いということを思い知らされる。
そしてそんな人たちでも立派に生きているという事実。
俺は…。

 ま、そうかな。って、オレ、だよ、オレ、って、立派に生きてないけど。
 これ読むといいよ、読みづらいけど。
 ⇒「 ナイン・ストーリーズ (新潮文庫): 本: サリンジャー,野崎 孝」
 野崎訳、よくないんだけど、今、この訳しか手に入らないのでしかたないか。
 で、このなかの"For Esme with Love and Squalor"がよいのだけど。タイトル、「エズメのために」なんだけど、その先、「愛と汚辱を込めて」かな。

はっはっは(あたしンちのお父さん声で)

 ⇒中国銀株を売買停止に・上海証取、サブプライムで「重要事項未発表」 : NIKKEI NET(日経ネット):国際ニュース−アメリカ、EU、アジアなど海外ニュースを速報
 ⇒極東ブログ: ポールソン&ウー、国際熟年男女デュエット、熱唱して引退
 
追記
 ⇒中国銀行:巨額損失報道を否定「根拠なし」 2008/01/23(水) 10:10:56 [中国情報局]

美人ではなくブスな女に限ってイケメンの彼氏をゲットする7つの理由

  1. メシマズの逆
  2. 床上手
  3. 彼氏は別に美人を望んでいない
  4. 夕飯は灰干しサバにしよう
  5. 明日は雪かな
  6. 人ぞれっていうことで
  7. 低脂肪牛乳って本当に牛乳なのか

HTML - metya タグの仕様詳細まとめ

 METYA要素とは、メチャデータを指定するための一般的機構である。しかし、HTML要素・属性の中には、既に何らかのメチャデータを取り扱うためのものがある可能性があり、著者によってMETYA要素の代わりにメチャデータ指定に使われ得る。 OTAKU要素、GYAGU要素、OTOME属性、HATENA属性がそれである。以下略。