毎日社説 社説:視点07・どげんかせんと 年金騒動 「関係ねぇ」で…=論説委員・近藤憲明 - 毎日jp(毎日新聞)

 「どげんかして」の思いが一番切実なのは、保険料を払ったのに未納扱いされている受給者・加入者たちだ。受け取れるはずの年金がドブに捨てられたに等しい。為政者よ、げに恐ろしきは年金の恨み。そのパワーたるや政権をひっくり返す破壊力を持つ、と心せよ。

 溜息が出る。毎日の執筆者には、年金なんてものは最初から存在しないよと、団塊世代の利権だけに目を向けているジャーナリズムに対する若い世代の憎悪をこれっぽっちも想定していない。
 その憎悪は政権や与党に向けてあたりちらしてみれば多少気が晴れるという若者もいるだろうけど、それで解決できるわけでもないこともわかった無気力とさらなる憎悪が蓄積されていく。

毎日社説 社説:京都議定書 覚悟決めて約束を守ろう - 毎日jp(毎日新聞)

 率直にいうと戦中みたいな空気だな。ある程度見渡せる人なら敗戦はわかっていたし、実効ある敗戦処理に向かわなくてはならなかった。でもできなかった。キョウトもたぶんできっこないよ。でも誰も敗戦処理はしないのだ。

朝日社説 途上国援助―じり貧を食い止めよう : asahi.com:朝日新聞社説

 この問題は最近気を配っていないので実態が朝日のいうとおりなのかわからない。

 貧困や紛争などの解決や地球環境のため、いわば世界の世話役として積極的な役割を果たしていく。平和憲法を持つ国として非軍事の手法を重視し、民生の分野で貢献していこうという提案である。

 というのを実際のところアフリカ問題やオセアニアの問題に適用したときどんな図が描けるのか皆目見当もつかない。

 来年には洞爺湖サミットが開かれる。地球温暖化防止をめぐる合意づくりが大きな課題となる見込みだが、世界の貧困対策もそれと並ぶ重要性を持つ議題だ。

 つまりは「貧困」問題ということになる。
 それも具体的なコンテキストからはわからない。
 マラリヤ対策とか教育とかそういう部分の問題なら見えないこともないが。

雨だ

 小雨だが冬の雨という感じでしんみりくる。天気図を見ると夜間に前線が抜けたようだ。
 起きたら携帯電話がない。どうしたことかと探す。しかたがないので別の電話で携帯を呼び出してみると居場所から鳴っていて見つかった。あはは(ぼけか)。

twitterって使えなくなっちゃうことがあるのか

 twitがまた壊れたと思ったら直っていた。つ・ま・り、クライアントの問題じゃなくてサーバの問題だったか。twitterってようするにどうやってサービスを提供するかすらいまだにβなのだと思う。
 こんなシンプルなシステムがなぜと思うけど、けっこう進化している。ところではてなhaikuってまだあるんだっけ。

それだけ読むとなると難読ではあるな

 猫猫先生かわいそうな星新一 - 猫を償うに猫をもってせよ

 朝日新聞社大仏次郎賞が決まった。ところで先日、東大の授業で、これを「だいぶつじろう」と読んだバカがいた。もちろん理系だが…。

 まあ文系でもそうでしょ。
 ⇒大佛次郎 - Wikipedia

生地に近い港の見える丘公園に「大佛次郎記念館」がある。また鎌倉の邸宅は「大佛茶廊」として保存されている。

 昔ここを散歩していて俳句のコンストをやっていてシャレで書いて投稿したらなんか佳作かなんか賞になって文鎮もらった。

今日の増田

 長い⇒元増田です。遅くなって申し訳ない。

本当は、お見合いで結婚できるならそれでいいんです。服とかそういう全然興味のないことに時間と大金を巻き上げられたあげく、よく知りもしない相手と付き合ってみるよりは、信頼できる第三者が紹介してくれる相手と一緒になった方がどう考えても合理的でしょう。ところが、世間の人はどうしても「お見合い」なんてしたくないらしい。

 ⇒http://anond.hatelabo.jp/20071223012444

お見合いでいいんなら、会った子に片っ端から声かけりゃいいんじゃないかなー。

 お見合いというのは意味が変わったなと思った。
 お見合いというのは、家と家のバランスというか力学で出てくるものだった。あるいは、なんらかの友情みたいな経済バランスというか。
 私もお見合いしたことがある。書いたっけ。ざっと「お見合い」で検索したらなかった。まあ、お見合いというのは失敗するものだよ、たいてい。
 あと、ある程度の社会的な感覚のおとなーな人はさりげなくプレお見合いの場を作る。それって若い人にはちょっと気が付かないことがある。これは今でもそうなんじゃないかな。
 という線でいうと、そういうおとなーな人との接点がある人はお見合いとかある。というか、そういうおとなーな世界に入るかどうか。入れるかということかもしれない。
 基本的には家の関係だけど、あと日本は豊かな社会になったのでそう家でない知的な緩い連帯みたいのもあってそういう場もあるかも。

今日の増田その2

 元⇒ゆとりだから。
 ほいで⇒

ゆとりだからなんてことじゃなくて、あんたらの親の世代が特に苦労してないだけだと思うよ。
苦労してる家庭で育つと若干老けるから。
良く言うとしっかりするってことなんだが。

 まあ、そうですね。

宮台先生のこれだが

 ぶくまのほうで⇒はてなブックマーク - 出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日本的課題 - MIYADAI.com Blog
 ぶくまを見るとまったくわかってないというわけでないけど、なんというかちょっと言及控えようかなと思っていたら。
 ⇒空気とKY - A Road to Code from Sign.

なんだか細かいツッコミどころが目に付く。山本七平が挙げたのは、極東裁判ではなく、吉田満戦艦大和』における、大和の沖縄出撃や、自動車による大気汚染などの環境問題だった。山本はそれを「臨在感的把握」と呼び、モノに対して臨在感を読み解く日本人のアニミズム的心性を明らかにしつつ、その支配から逃れられない原因を、啓蒙の不徹底ではなく、啓蒙主義によってアニミズム支配を「なかったこと」にしようとしたことに求めたのだった。つまりここで「空気」とは、ルーア(ヘブライ語)、プネウマ(ギリシア語)、アニマ(ラテン語)に相当する概念だ。西洋の啓蒙主義とは、我々がこうした「空気」に踊らされ、集合的に沸騰しがちな存在であることを前提に生まれてきた。

 そう。きちんと山本を理解している人はいるなあと思った。

山本は、『ヨブ記』における「神の絶対性の徹底」を引き合いに、両極端な、絶対化された基準との位置関係でしか自己を把握できない「空気」の醸成の危険さを指摘したのだが、そこで必要だと述べられているのは、絶対性へのアクセスではなく、儒教伝統の中で「空気」に抗し得た「水」の論理だった。

 この理解が間違っているわけではないが、ここは少し難しいところ。
 山本あるいは宮台の先生の小室のコラボ的な部分でもそうだが、原則と共同性の問題があり、そのあたりをどうとらえるか。つまり、契約の原則性と市民契約の問題。山本がよく言っていた「話し合いの恐怖」というあたり。
 それはそれとして

知的エリートがどれほど生まれようと、彼らに「水を差す」だけのコミュニケーション能力がなければ、「この馬鹿どもが!黙って我々に従え!」という悪しき設計主義以上のものは生まれないだろう。

 このあたり痛感する。
 話はそれるが、宮台先生は南京虐殺についてはけっこう右派に近い考えをもっていて、今回のこの話なんかとも接合してしまう部分がある。そのあたりはなんかのおりにふとネットで可視になって問題を起こすのだろうと思う。
 との弱い関連で
 元の⇒出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日本的課題 - MIYADAI.com Blog

 欧米のノーベル賞級の学者の多くは、大衆向けで分かりやすいものの、極めてレベルの高い啓蒙書を書けます。知識人には専門性を噛み砕いて喋る能力が必須です。そうした能力は公的なものです。日本にそういう学者が数少ないのは、知識人がいないことに関連します。
 理科系だけでなく文科系にも言えます。ちなみに文科理科という区分は後発近代化国だった日本に独特です。サイエンスとリベラルアーツを区別するのが普通で、サイエンスにはナチュラルサイエンスとソーシャルサイエンスが入りますが、日本の区分は違います。
 リベラルアーツは、ヴィンセンシャフトリッヒな伝統--全体性を参照するロマン派的伝統--と密接な関係があります。この伝統はビルトゥンク(教養=自己形成)に関心を寄せます。ビルトゥンクとは全体性に近づくことを言います。日本ではこの伝統がありません。
 だから日本の文科系には、包摂的なリベラルアーツに程遠い専門人がつどっています。この手の輩が、論壇というお座敷で、お座敷だけが期待するお座敷芸を披露しています。芸のネタが政治だろうが軍事や外交だろうが、この手の芸は完全に公共性を欠いたものです。

 このあたりの指摘は宮台先生のご指摘ということはなく、普通に欧米の知識人を知っている人にしてみればごく普通ことだが。幸い、こうした部分の知識人が日本にいないわけでもなくこっそり謙遜と自適のなかで暮らしていたりする。というか、リベラルアーツ=教養とは人を豊かにするものだからだ。
 ついでに⇒極東ブログ: 教養について
 余談になるが、この「ビルトゥンクとは全体性に近づくこと」は間違いではないけど、上に触れたようにリベラルアーツの「自由人」に関連するもので、実はこの自由人の背景には、影のように神学が関係している。放言のようになってしまうが、ドーキンスのある種の狂気は実は裏返しの神学でもあるし、対極にはペンローズのようなものがある。日本ではドーキンスは熱狂的に受け入れ偽科学批判などの文脈にも出てくるが、ペンローズを偽科学だとバッシングするだけの力のある人を私は見たことがない。
 絶版か⇒「 皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則: 本: ロジャー ペンローズ,Roger Penrose,林 一」
 松岡正剛が届くのはこのくらい⇒松岡正剛の千夜千冊『皇帝の新しい心』ロジャー・ペンローズ

それでペンローズが次にどうしたかというと、ここからが本書をつまらなくさせていく。
 なんと今度は一転して脳を調べ(第九章「実際の脳とモデル脳」)、そのどこかに量子機能がはたらいているところがあるはずだという話になっていくからだ。本書では一つの例として網膜をあげ、ここにちょっとした可能性を見るのだが、そのくらいではたいした実証性をもたないので、あきらめる。ここからはさすがのペンローズも腰砕けなのである。

 たしかにこの「皇帝の新しい心」でペンローズが終わっていたらそれでよかったかもしれないし、日本的な知的な相貌もなんとかさまになった。しかし、欧米人というのは、その神学的な情熱というのはそういう格好付けはない。真理に向かって進んでしまう。
 こっちは売っている。

cover
ペンローズの“量子脳”理論―心と意識の科学的基礎をもとめて (ちくま学芸文庫): ロジャー ペンローズ,Roger Penrose,竹内 薫,茂木 健一郎
 これ藻偽っちだったか。
 まあ、つまりそういうことになっていく。そういうことって、まあ、うまく言えないよ。
 っていうか、私は私で孤独な人なので孤独な道を進んでいくしかない。

陛下、満74歳、おめでとうございます。

 ⇒天皇陛下 誕生日記者会見詳報(1) : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 このように私の意図と全く違ったような解釈が行われるとなると、この度の質問にこれ以上お答えしても、また私の意図と違ったように解釈される心配を払拭することができません。したがってこの質問へのこれ以上の答えは控えたく思います。

 陛下も孤独。
 でも、良き伴侶を得たのが人生の幸いであったでしょう。
 それにしても、国民はもう少し天皇家をほっとけと思う。が、英国王家を見てもそうもいかないか。王といえども人は人だ。そして王に生まれることはまったく幸せを約束しない。

ktkr、噂はあったけど、ブレア前首相カトリック改宗

 ⇒CNN.co.jp:ブレア前英首相、カトリックに改宗

ロンドン(AP) 英国のブレア前首相が、英国国教会からカトリックに改宗したことが22日、関係者の話でわかった。ブレア氏は首相在任中、信仰について明らかにすることを避けてきた。

 ⇒ブレア前英首相がローマカトリック教へ改宗 国際ニュース : AFPBB News
 ⇒BBC NEWS | UK | Vatican hails Blair Church switch
 ⇒Tony Blair takes final step to Catholicism - Telegraph