日経 春秋(5/29) : NIKKEI NET:社説・春秋 ニュース

「なんとか還元水」の問題も、安倍首相が妙にかばい立てをせず、野党がもっと切り込んで、松岡農相を釈明へと踏み出させていれば、自死という悲劇は避けられたかもしれない。▼日本では政治がからむ疑獄事件に、自殺がついて回る。板挟みに悩む管理職が、思い詰めて死を選ぶことが多い。時の権力の一翼を担う現職の閣僚が自殺するのは、戦後初という。「なんとか還元水」問題のほかにも、命を賭して守るべきものがあったのだろうか。

 なんというか、まあ、情けない文章だと思う。武士の情けじゃみたいな情けね。
 っていうか、なぜこの執筆子、緑資源機構のことを書かない。

読売社説 松岡農相自殺 悲惨な死が促す政治の信頼回復

 安倍首相が、農水省出身の松岡氏を農相に起用したのは、農業問題に精通する力量を買ってのことだ。自由化を進める際、松岡農相なら国内の抵抗を抑えられるという判断もあったという。
 先の豪州との経済連携協定(EPA)交渉開始の合意も、農相の力があったと評価している。
 グローバリゼーションの中で、日本の農業はどうあるべきか。これからが正念場という局面での死だった。

 カネがらみの問題もあるだろうが、そのあたりを突いた勢力の利害関係という大枠で見ると、読売がさりげなく指摘したあたりの問題だろう。
 ある意味でプロパーな知識を持ちすぎたのかもなとも思う。

 今国会は、事務所費ばかりが問題になっているが、民主党角田義一参院副議長が北朝鮮と密接な関係のある団体から献金を受けていた事実は、はるかに重大だ。こうした問題の究明が、きちんとなされていないのは解せない。

 まあ、ね。

仮面ライダー慙愧

 田中角栄(1987. 07. 29)

一審以来繰り返し述べている主張が、正しく理解されていないことは、誠に残念至極であります。最高裁判所において、改めて私の正当性が明らかにされることを望んでやみません。長い間、皆さまにご迷惑をおかけしていることは慙愧(ざんき)に耐えませんが、身の潔白が証明されるまで、今後も郷土新潟県そして邦家発展のため心血を注いでまいります。

 渡辺美智雄(1993. 07. 30)

これまでの自民党の政策には大きな誤りがなかったと確信する。しかし、惰性に流れ、大型の不祥事件が上層部で起きたことは慙愧(ざんき)に耐えない。

 石原慎太郎(1995. 04. 15)

国民の政治に対する軽べつと不信は、まさに私自身の罪、科(とが)だ。深い慙愧(ざんき)の念を表したい。

 橋本龍太郎(1996. 11. 29 )

まずはじめに、最近、行政に対する信頼を失墜させる事例が続いたことは慙愧(ざんき)に堪えません。綱紀の粛正を徹底するよう、重ねて求めなければならない状況を本当に残念に思います。公務員諸君には、この国の置かれた状況を十分認識し、国民全体の奉仕者であることを自覚した上で、襟を正し、矜持(きょうじ)と使命感をもってそれぞれの部署で職務に全力を尽くすよう改めて強く求めます。また、同時に、政治の責任も痛感しております。

 松永光(1998. 02. 16 )

先般、大蔵省の金融検査部に所属する職員が収賄の容疑により逮捕されたことは、大蔵省に対する国民の信頼を著しく損なうものであり、慙愧(ざんき)に堪えない。改めて国民の皆さまにおわび申し上げる。

 小泉純一郎(2001. 08. 14 )

私はこのような国内外の状況を真摯(しんし)に受け止め、この際、私自らの決断として、同日の参拝は差し控え、日を選んで参拝を果たしたいと思っています。
 総理としていったん行った発言を撤回することは、慙愧(ざんき)の念に堪えません。しかしながら、靖国参拝に対する私の持論は持論としても、現在の私は、幅広い国益を踏まえ、一身を投げ出して内閣総理大臣としての職責を果たし、諸課題の解決にあたらなければならない立場にあります。

 
 ⇒首相コメント「慚愧に堪えず」、「残念だ」の間違いか : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 安倍首相が松岡農相の自殺について、「慚愧(ざんき)に堪えない」と述べたことについて、「『残念だ』という意味で使ったのであれば、間違っている」という指摘が出ている。
 「慚愧」は「恥じ入ること」(広辞苑)という意味だからだ。首相周辺は「最近は反省の意味でも使われており、問題はない」としている。

大型家電量販店の値切り以前にだな

 店員は客が買う気があるかどうか鋭く見抜いており、値切りの話は、こいつは買うオーラが出てからの話だってば
 ⇒はてなブックマーク - SHODO(衝動): 大型家電量販店での値切り方

まあ、日本人はご冥福を祈っちゃうわけですよ

 世相によってこのエントリが読まれる。
 これ⇒極東ブログ: 「冥福」は祈らない
 まあ、この話は奇妙な反発を買うし、それ以上蒸し返してどうというものではない。
 で、と。
 これもまあ常識だとは思うのだが、お地蔵さんていうのがあるわけですよ、日本の田舎の風景というか街の風景でもそうだけど。
 このお地蔵さんというのは閻魔大王です。
 いやホント⇒閻魔 - Wikipedia

平安時代になって末法思想が蔓延するにしたがい源信らによって平安初期には貴族、平安後期には一般民衆と広く布教されるようになり、鎌倉初期には預修十王生七経から更なる偽経の『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略して『地蔵十王経』)が生み出されるに至った。

これにより閻魔の本地が地蔵菩薩であるという事になり(ここから、一部で言われている「地蔵様=閻魔大魔王」の説が派生したと考えられるが、詳細は不明である)、地蔵のみならず十王信仰も普及するようになった。

 で、お地蔵さん=閻魔大王をなぜ日本人が尊んだかというと、冥福なわけです。
 まあ、現代ではあまり意識されないわけだけど。
 形式的には、日本人は、死んだら地獄で閻魔大王の審判を受けるというような信仰をしている。

増田「娘への情熱」(岩波文庫)

 ⇒

6年ぶりに彼女ができた
お互い一目惚れで、何回かメールを交わした後、二回目に逢ったときに告ったらOKもらった。

何となく不安というか、騙されているような気がしてならない
年の差は10歳
もちろん、俺が上

俺はおっさんだからなー、という一種構えがあるのは認める
相手は20代前半
若い子がこんなおっさんと付き合うってどうよ?的な疑問もある
 
増田
俺はどうしたらいい?

*'``・* 。 
        |     `*。   マハリクマハリタ 
       ,。∩∧_,,∧   *    もうどうにでもな〜れ〜 
      + (´・ω・`) *。+゚ 
      `*。 ヽ、  つ *゚* 
       `・+。*・' ゚⊃ +゚ 
       ☆   ∪~ 。*゚ 
        `・+。*・ ゚ 

 参考⇒ハインリッヒ・シュリーマン - Wikipedia

というのが、これまでの俗説、およびシュリーマンの主張であった。 が、近年の研究ではこれらの主張はシュリーマンの虚言癖、もしくは見栄に由来するものであるとされる。シュリーマンは確かに金持ちになったが、これといった夢があったわけではなかった。しかし、教養ある妻に対しコンプレックスがあったことから、トロイア遺跡発掘が子供のころからの夢であったと語ってしまい、発掘に挑む羽目になってしまったというのが現在の通説である。彼が事業をたたんだのは、美貌と教養を併せ持つ30歳も年下の娘と結婚してから、数年後のことである。