産経社説 学力回復 土曜授業も有効な選択肢

勉強に励むことは子供の本分だろう。塾任せにせず、子供たちがしっかり学べる態勢をつくりたい。

 子どもの本分は遊ぶこと。
 大人がすべきことは子どもを遊ばせること。
 本当に楽しく遊んだ子どもたちは、人類と地球を愛する。
 ま。
 私のように別のプロセスから人類と地球を愛そうとした子どももいるにはいる。が、その分、大人になって遊んだか。あはは。

毎日社説 内閣支持率急落 年金不安に首相の説明足りぬ

 内閣支持率が下がると安倍カラーが出しやすくなる。安倍ボクちゃんはけっこう本気なのかもしれない。というかお父っつあんの命をもらっているなら、20年後に返り咲きだってできる。っていうか、ここからが安倍の見所かもしれない。

朝日社説 東ティモール―日本が平和構築の先頭に

 石油利権やIMFについての言及がないのは、利害関係の裏があるのでしょう。そして朝日といったら中国様でしょう。とかつい考えてしまうけど、裏読みめんどくさ。いずれにせよ、くだらねえ社説。

朝日社説 天下り官僚―改革は任せられない : asahi.com:朝日新聞社説

 戦後の日本では、政治家・官僚・業界の「鉄の三角形」が政治を差配する構造ができあがった。官僚の天下りが常態化し、族議員と手を握った省益中心の縦割り行政で利益を分け合ってきた。
 低成長の時代になり「選択と集中」が必要になって、こうしたシステムは通用しなくなった。90年代の金融危機での失政や借金漬けの財政は、その結果だ。

 その動向と朝日の一面での凋落は関係しているというか、朝日も多角化して天下りみたいなことはやっているようだ。

空を見上げるこの季節らしい雲など

 いつもより眠りが浅かった。イタリア料理の品評会みたいな夢を見ていた。凝った料理にウンザリしていた。
 身体の疲れと、無意識の疲れのようなものがだいぶ貯まっている。鬱なのかもしれないが、そう考えてもしかたない。

それはけっこう普通

 それ⇒FPN-摩訶不思議なこと。潜在意識による上達?!
 ただ、普通は逆になる。
 無意識がもつ自己像や、環境適応の関係になるのだろうと思う。特に、身体的な運動性に起源を持つものに多い。
 水泳とかやっていて面白いのはそのあたりもある。

キモいといふ事

 増田オリジナル⇒キモい
 ナイスフォロー⇒http://anond.hatelabo.jp/20070527112136
 ま。
 私も、昔だけど、ある女性から面と向かって、あなたって気持ち悪いんですよ、とか言われたことある。へ?と思った。私は、彼女に関わった記憶がまるでない。なんだ、この女、と思った。が、その時思ったのは、彼女は「なぜお前だけはワタシに従わない、ワタシの美を認めない」ということかな、と。違ったかもしれないが、彼女は、なんというか、男の子たちの明るいリーダー女みたいなことを演じていた。というか、私にはそれが「演じていた」に見えた。私はそういうのが嫌いなので、つい、そういうのが出てしまったのだろうと思う。
 ああ、そういえば、30代になってから、悪友が飲み屋に来いというから言ったら、どうも女を紹介するということらしい。顔を忘れたがきれいげな人だったような情報だけは残っている。私はというと、はぁ?的状況に、友だちの気を使ったり、その女の気をつかって、なごやかにすごしたのだが、あとからその悪友に、お前きもち悪いってバカにされてたぜあの女にとか言われた。いや、別に、どう言われたっていいんだけど、関係ないし。
 とかとか。
 オッサン化した私は若いときよりキモい。これはけっこう自己嫌悪。まいったなと思う。というか、その手の悩みは赤玉が出ても抜けないものだし(まだ出てないってば)、意識がはてしなく悪あがきするもの。なので、諦める。俺ってキモいなうじうじ虫の自分と仲良く共存して生きる。

なんか大臣が自殺してしまったが

 うーむ、まいったなぁ、ちょっと日本国の恥、っぽい。
 自殺するほど追い詰められていたと考えると可愛そうだけど、おっさん50過ぎていたわけでしょ。まあ、だったら一つの選択として尊重してあげてよさげ。
 でも、実態はたぶん、一種の精神病理なんだろうと思う。
 そのあたりになんか、ちょっと、困ったもんだと思いますね。
 残されたご家族も大変。

キモいとか言われてももともと孤独な人間には無意味なこってす

 お前がきらいだとか。お前キモいとか言われても、で、その結果、どうなるわけ? 私なんかお仲間にして貰えない、と。え? 私がお仲間になりたと思っていらっしゃった?
 みたいなものです。
 ネガコメいただいても、なんつうか、まあ、イデオロギー的な問題は言うだけ無駄でしょ。あと、バーカバーカ系のネガコメはご自由に、ってか、私より頭がいいと私に向かって主張したい理由て何?
 とかふと気がついたが。
 孤独っていうのは、けっこうな、シールドですな。
 好かれたいとか思わないわけでもないけど、最初から孤独な人生を始めてしまった人間にはまたなんつうか、まあ、原点からして通じないですよ。
 コミュとか非コミュとかも、まあ、どうでもいいよ。

ありふれた人生でいいんじゃないの

 増田⇒2060年頃、ありふれた人生を終える恐怖

もうすぐ30歳。現在サラリーマン、そこそこの稼ぎ。
だがいま、辞表を書いている。
子供の頃から自分は何のために生まれてきたんだろうとかずっと考えてた変な奴だったが、
30歳を目前にして、再度同じ問いが脳裏から離れなくなった。

 まあ、普通の人はありふれた人生ですよ。
 っていうか、失敗する人生を恐れているとしてら、時間が解決してくれる。つまり、人生は失敗だった。Q.E.D.
 まあ、どう生きても人生だよ。
 ちょっと踏み出していうと、好きなことやんなよ。30だったらまだ親が元気な可能性が高いんだから、四、五年、好き勝ってに生きたらいい。というか、そうやってみて始めてわかる自分っていうのものがあるし、そういう自分が見えてきたら別のものも見えるよ。
 っていうか、もうちょっと言うと、30ちょいさきまで固まって生きていると、たぶん一生固まるに慣れてしまう。うまく言えないが、慣れるっていう感じだね。

この妥協案のどちらかを実行することになりそう。惰性に流され、日常に沈む恐怖よりは幾分マシだ。
誰か助けてくれ。 とりあえず外出て酒買ってくる。

 日常には沈むもんだよ。誰も助けてくれない。
 酒はやめたほうがいいよ。増田から出てこよいよ、と言っても無駄だろうけど。
 世界の果てまで旅でもしてみるといいよ。
 ⇒finalventの日記 - 34歳の踏ん切り

日本語調査

 ⇒KOTONOHA「現代日本語書き言葉均衡コーパス」 検索デモンストレーション - 検索条件
 ほいで。
 70年代で「子育て」はゼロ件
 80年代で2件

い場合が多いことや,この世代が 子育て の時期にあり,余裕の少ないこと 国民生活白書_昭和58年版 経済企画庁 大蔵省印刷局 1983年12月
,40歳代,それも女性で高く, 子育て 期であり,夫が中年期に入るこの 国民生活白書_昭和59年版 経済企画庁 大蔵省印刷局 1984年12月

 90年代18件
 対比。
 70年代で「育児」は63件
 80年代26 件
 90年代50 件
 つうわけで、ざっと見た感じで。
 「子育て」という言葉が登場したのは80年代。これが「育児」を食っていくようだ。
 三好京三が「子育てごっこ」を書いたのは1975年。まあ、このあたりから数年して、事実上「子育て」という言葉が日本語になる。
 つまり、「子育て」という言葉は1975年以前にはほとんどなかったっぽい。