読売社説 戦後補償裁判 「個人請求」に幕を引いた最高裁

 まあ、これもだが、台湾人について日本は戦後ひどいこともしたよなと思う。台湾人は日本人だったのに(十分補償されない)。まあ、それをいうと以下略。
 全体論としては、戦争責任論というのもわからないではないし、歴史は研究されるべきだし、法理は法理としてあるべき。なのだが、もう一つ、国民意識へのコミュニケーションという問題がある。日本の戦争責任というのは、私の世代まではある種の実感とこの言葉の持つダブスタへの感性があった。しかし、私から下の世代にはそういう阿吽は通じない。歴史を勉強しろよとかつい言いたくなるが、あのダブスタ感がわからないと歴史の勉強はどのようにも仕上がってしまう。
 あと困ったことに戦後文学における戦争っていうのは、極論すると知識階層の浮遊物であって、戦争が描かれていない。このあたり、できるだけ大衆カルチャーのなかから両義的に戦争を掬い取らないといけない。戦争というのは知的にはわからない部分があるし、大衆のなかにこそ平和思想がある、はずだ。というか、大衆と平和思想は分離していないはずなのだ。そこが戦後の言論空間はまるで離絶していた。

朝日社説 金融政策―もっと分かりやすく

 そんなこと言われてもね的。
 消費税アップとかできないってというのと、利上げはでももうちょいはありか。
 で、と。基本的に日本のデフレ基調は変わってないのだろうが、世間を見ていると、少し景気がよい。外食系がそうかなという感じ。なんとなくだが、外食系というのは実は不動産なんじゃないのか。そのあたりなんか分析がありそうだが。
 このところ大型ショッピングセンターに行く。当初アホカこれと思ったが次第に馴染んでいる自分がある。

ログイン なんか三日くらい経った感じ

 ちょっと別分野の本とか読みまくり、あとはだらだら散歩に泳ぎとかしていると、なんか時が経った感じがする。
 っていうか、世の中は、黄金週間か。この時期、アジアは中国人だらけというか、中国も日本の真似なんだろうなと思うけど。
 以前はこの時期、オージーめあての観光地ががら空きでよかったのだけのね。というか、最近、日本を出てない。パスポートも切れたか。とほほ。ま、しかたないのだけどね。

増田的苦悶とその連鎖のついてのサンプル的考察

 原点⇒愛してるかどうか

何年も付き合った女の子に振られてだいぶ経つ。
つらい波が時々やって来て、頭がおかしくなりそう。

 レス⇒[http://anond.hatelabo.jp/20070428062433:title=だいたい20年くらいで]

その症状はおさまる。
待っていれば勝手に治る。
胸に槍が突き刺さっている。
こんなにも強烈な痛手を負っていたことは後になってみないとわからない。

 ま、20年はかかるかもね。
 25歳だったら45歳か。
 30歳だったら50歳か。あ、オレ?
 まあ、その時、男は終わっているのが普通だろうな。あるいはある呪縛で終わらないとか。
 私の世代の青春は上の団塊世代のフリーセックス時代の収束から少し純潔な時代だった。ま、ごにょごにょしていたけど、こういうとなんだがあるクラスターでなければ中絶とかもなかったように思う、原因がないのだから。
 まあ、この件はいろいろ思うことがあるのだが、ま、以下略としないで、と中略として、結論だけいうと、未練とは自惚れだよ。

増田的努力

 ⇒
 私はかなりの分野で自分に自信がない。実際、能力もない。というか、自信とか能力というのは実際には社会パラメーター臭い。私はそういう社会そのものに馴染めない。なのでどうするかというと、歴史主義。
 ある事について自信や能力があるかないかじゃなくて、それに類することで自分がどのていど達成した履歴があるかを見て、自分の算出能力を算定する、他人の脳みそや体を使うように。
 で、この場合、ポイントは二つある。
 1 若干の投機をする。以前これが80%の力でできた。これならあと10%は余裕だ。20%までアップしてみるか。
 2 1と関係するのだが、最初に下手な試行を多くする。歴史主義はどうしてもretrospectiveなので、数学的機能法のような1のケースが必要になるので、タネは撒いて育てておかないといけない。
 ああ、あと3点めのポイントがある。
 3 老いを算定すること。
 今はここが微妙だな。むずかしい。だいたい30代徹夜効かね、40代で厄年ダウンがあるとまず身体側へのベットはできなくなる。

それはそうかな的増田

 ⇒みんなあらを探してる

池田信夫叩かれすぎ
もうブログは閉鎖するか
自分のソースだけの記事を書くほうがいいんじゃないの?

 池田さんは念の大だから叩かれてもそれほど気にしてないというか、傍から見ているのとは違った印象を持っているのではないか。
 悪口に取られるといけないけど、知的な部分での池田さんの発言は高い水準の知的な言説なのだけど極めてというほどではないと思う(その分野の学者の十指の一つくらい、ま、それでも優れているのだが)。ある意味それなりにスタンダードだ。ただ、見せ方が奇矯感はあるかもしれない(他人事でもないが)。
 で、その政治的な偏りについていうと、彼を叩くというのは、ただブログ・シーンだからでしょう。正論だの諸君だののプチ論者とかがブログとかにべた出てくると、そういう叩きはできなくなるというか、叩く側との単なる数の上の勢力の経済学になるはず。
 池田さんがすぐれているのは、彼はいろいろ実務経験なりがありその考察の裏もある。ちょっと連想なのだけど、ドクター苫米地も。そのあたりの、むしろ、メディア側から聞きづらい部分がブログで聞けるというのは面白いと思うだけど、まさにそういう面白さをいろいろと潰したい勢力があるのだろうと思う。
 ただ、こうしたブログのバッシングとかもマクロ的に見れば、ただのカネの絡みというだけのように思える。
 だから、ブログとビジネスという意味でのカネが流れだすとそれなりの仕切りが出てくるのだろうけど、まあ、そうなるものか現状ではわからない。