読売社説 戦後補償裁判 「個人請求」に幕を引いた最高裁

 まあ、これもだが、台湾人について日本は戦後ひどいこともしたよなと思う。台湾人は日本人だったのに(十分補償されない)。まあ、それをいうと以下略。
 全体論としては、戦争責任論というのもわからないではないし、歴史は研究されるべきだし、法理は法理としてあるべき。なのだが、もう一つ、国民意識へのコミュニケーションという問題がある。日本の戦争責任というのは、私の世代まではある種の実感とこの言葉の持つダブスタへの感性があった。しかし、私から下の世代にはそういう阿吽は通じない。歴史を勉強しろよとかつい言いたくなるが、あのダブスタ感がわからないと歴史の勉強はどのようにも仕上がってしまう。
 あと困ったことに戦後文学における戦争っていうのは、極論すると知識階層の浮遊物であって、戦争が描かれていない。このあたり、できるだけ大衆カルチャーのなかから両義的に戦争を掬い取らないといけない。戦争というのは知的にはわからない部分があるし、大衆のなかにこそ平和思想がある、はずだ。というか、大衆と平和思想は分離していないはずなのだ。そこが戦後の言論空間はまるで離絶していた。