日経社説 日本のパソコンの強み生かせ(2/12)
新しいパソコンには初めからビスタが搭載されるので、日本メーカーも得意のAV機能を売り物にすれば、そうした新興市場に食い込むチャンスがあるはずだ。経営者が内向き志向を転換し、もう一度、世界で勝負すれば道が開かれるのではないか。
泣いちゃっていいでつか。
産経社説 異常少雪 天からの手紙が届かない
嗚呼。執筆子は「天からの手紙」の由来を書かない。知らないわけもない。当たり前過ぎるのかもだがであれば標題には使わない。一言でも済む。執筆子の一種の意地悪であろうな。歳を取るとこうなるな。
私はもう少し若いというか、教え爺としてか。
⇒中谷宇吉郎 - Wikipedia
雪は天からの手紙―中谷宇吉郎エッセイ集: 中谷 宇吉郎,池内 了 |
産経社説 【主張】携帯1人1台時代 負の面より利便性に目を
あまりに下手な作文で返って感動してしまった。
読売社説 [京都の景観]「保全には大胆な規制が必要だ」
京都に行かずして久しい。以前嵐山にいる知人の外人を訪問したとき、嵐山ってこんなことになっておったのかと唖然とした。
山田邦子の店はその後どうなったのだろう。
朝日社説 郵政民営化 事業の姿を早く示せ
なんなんでしょ2、この社説。
新勘定と旧勘定のことを朝日が知らないわけなくてこれを書く、釣りですよね。
民営化されても株式上場するまでは全株を政府が持つ。いくら市場原理をかざしても、「政府が大株主であれば暗黙の政府保証があり、民業よりも有利になる」と金融界は反発している。
これを、民営化委は「誤解だ」とした。だが、国の信用という後ろ盾を当然と考えてきた利用者がすんなりと納得するだろうか。
民営化委は「誤解だ」とした、じゃなくて、誤解なんだからきちんと社説を書いてくれ。というか新勘定が議論になるのだろうか。
旧勘定の国民のカネが法によって保護されただけでよかった、その先はもう国家金融はないんだよ、ということが略。
今の若い年寄りの人たちへ、非常に年寄りとなった僕から。
これは、今の若い年寄りの人たち、三十代まだかろうじて前半のオタクっぽい人たちへの既に非常に年寄りになった僕から君たちへのメッセージです。今の若い年寄りの人たちは、安易に情報や結論やコミュニケーションやべたな巨乳に走りすぎている。僕はそれを見ていると、彼らの人生が非常に不安になります。いえ、オタクとしての人生が不安になるのではなく、真人間としての人生が不安になるのです。
もうすぐバレンタインになります。この世代の8割くらいの人たちにとっては、彼氏がいたり彼女がいたり、旦那がいたり嫁がいたり、旦那がいなかったり嫁がいなかったり、旦那や嫁がいてもどっかにいっていたり、過去にひどい精神的な苦痛を異性受けたり(そういうのが好きでもないのに、ってか好きな人は話が別)、すごい誤解の中をただ耐えていたり、わけのわからない攻撃をべたな人から受けたりと、エラールーチンに飛ばしたくなるイベントの日です。でも、おそらく、この文章を読んでいるような非モテの年寄りや負け犬の女の子にとっては、また、来たか、うぜーといったイベントだと思います。僕もそうでした。この時期になると、け、日本にはろくなチョコレートないな、ゴディバって粉っぽいじゃん、ハーシーは論外でしょ、M&Mならキャラ付きでしょと思ったり、いや待て、今日に世界が終わるか分からないぞと天に祈ったり、空からパンツを履いていない女の子が降りてこないかな、と思うようになりました(そういえばそういう映画が昔ありました、キャンディだったっけ)。そして、毎年、期待は裏切られ、精神的外傷を強くおっていったのです。
今、僕は、こうして自分の青春時代を含め、あるべき人生なんて無かったことにして、いかれた爺になりましたが、その嵌っている萌えポイントというのは、僕が思春期におったトラウマに大きく起因しています。負った傷が深くて大きいほど、小山ルミとか伊東ゆかりとか九重佑三子とか中村晃子とか奥村チヨとかとかお姉様萌えも大きくなります。僕が心配しているのは、今の若い年寄りがトラウマを克服するのを止めて本当の深い傷を体験することなく一生を終えてしまうのではないかということです。そんなのずるいじゃん。
若い人たちへ。傷つくことを恐れないでください。傷を深めてください。貴方が現実世界で負った傷は、将来大きな負債になります。
キャンディ: DVD: バック・ヘンリー,クリスチャン・マルカン,エヴァ・オーリン,マーロン・ブランド,ジョン・アスティン,リンゴ・スター,ジェームズ・コバーン,ウォルター・マッソー |
NHK ETV特集 焼け跡から生まれた憲法草案、見たよ
日本国憲法が施行されて60年になる。その誕生に新たな光を投げかける資料が最近、関心を集めている。終戦直後、日本人が構想したさまざまな憲法草案である。政府やGHQとは別に民間の憲法草案が作られていたのだ。
誰もが知ってるわけで、そんな大げさもんじゃないんだけどね。
中でも注目されているのが、在野の学者やジャーナリストが党派を超えて集まった「憲法研究会」。 1945年12月に発表された「憲法草案要綱」は、国民主権と人権尊重の原理を掲げ、「日本国ノ統治権ハ国民ヨリ発ス」とし、天皇の役割は儀礼的なものに制限。象徴天皇制の原型とも言えるものだった。 GHQの民政局はこの草案に着目。法律の下の平等や、拷問の禁止など、基本的人権の規定には、GHQの草案を通して現在の憲法にそのまま取り入れられた条文もある。
とかいうストーリーを強調にしたかったんだろうけど、実証研究的にはあまり大した話ではなかった。
再現映像が臭すぎ。とくにやたら煙草を吸うシーンも臭げで無意味。
結局、GHQの草案との関係ははっきりしないというか、別の話のように思えたし、事実関係を整理してみると、逆に憲法草案要綱自体GHQ側の作為ではないかという疑いも持った。まあこのあたりは別の機会があれば調べてみたいとは思った。
総じて、大正デモクラシー的な歴史の、一つの総括としての憲法草案要綱史はそれなりに意味があるのだけど、現行憲法史の解明部分をもっと明確にしたほうがよさげ。
難しい問題
あるAUM信者に対して、「テロをしたくてオウムに入信した人は居なかった」とは概ね言えるだろうと思う。
ただ、ここで難しい問題がある。あえてプラクティカルに問えば。
- 教義の結果が必然的にそうなる理路の可能性がなかったのか。
- AUMが操られていた可能性は無かったのか。
- 直接的な市民社会への危害としてのAUMと各種の薬物(幻覚剤や毒物)の関係は解明されたのだろうか。
この難問は、AUM信者なら解けるというものでもないだろうと思う。また、恐らく、その問いがAUM信者に問われるというものでもないだろう。 個人的な印象では、すべての元信者に、林郁夫のようにあれ、とするのも違うように思う。
1については、大乗の乱や度脱、あるいはもう少し込み入った教義(悪の顕在化)との関連をどう考えるか。というか、この問いは、恐らく仏徒に問われている。
⇒大乗の乱 - Wikipedia
⇒性と呪殺の密教 : 講談社BOOK倶楽部−本
2についてはなかなか現状で明確に言えない。この問題は、一義には公安に問われているはずなのだが奇妙な闇があるようにも思える。
1と2に奇妙の総合にもう一つ奇っ怪な問題もあるにはある。
3については裁判過程でわかりそうなものだが。
麻原裁判を通して見えた来たものは、しかし、ほとんど無かった。あるいは何か奇妙な別のストーリーを見させられているようでもあった。
日本の市民社会はそれなりの手順で麻原を事件の核と置いたが、そうだったのだろうか。
日経Womanの岸本葉子のエッセイを読んでいたら
大学時代からOL時代につきあっていた彼氏のことに言及していた。
彼女が自身の恋愛について言及したのは初めてじゃなかったかなと、ふと、戸惑いようなものを感じた。
その結果はどうなったのだろうか。荻野アンナのように続いていたのだろうか。
彼女は1961生まれだから今年46歳。まだまだ50まではという感じもあるか。あるいは女性はもう少し老いの感覚が違うか。
いずれにせよ青春的なものから20年は離れる。