毎日社説 横浜事件 裁判所も歴史を清算すべきだ

 この問題がこうしたイデオロギー的な枠組みで議論できるのかよくわからない。

 実は最高裁をはじめとする司法府は、いわゆる“みそぎ”を済ませていない。多くの政治家や官僚らが公職を追放された際も、ほとんどの裁判官が戦前、戦中の地位にとどまった。しかも、戦後も諸事情があったとはいえ、自白を偏重した誤判を繰り返したり、少なからぬ過ちを犯している。

 今の時点からはそう言える。だが、こうした問題はかなりその時代に即し、時代の全体像が見えてから問えるのでないか。というか、松川事件とかもきちんと法理として位置づけられたのかよくわからない。判例とかは整理されているのだろうけど。
 あと、ちょこっというと憲法学が変だなとは思う。ま、それとこれとは話が違うが。

読売社説 [大手ゼネコン]「『談合と決別』はウソだったのか」

 談合なんてなくなるわけないじゃんと思いつつ、それはそれとして、今回のこの事件についてはファクトのレベルでまだよくわからない。というか時期の問題。タメで検察が動いているような感じもする。

韓リフ先生、曰く

 ⇒正月といえば『戦争と人間』 : Economics Lovers Live

 やはりここでも思ったのですが、浅丘ルリ子栗原小巻ら女優陣が、20年前以上よりもはるかに若く尋常ならざる美しさにみえるのですが。

 ああああ、そうなんだよぉぉ....。おねーたまぁぁぁ....。

ブログの風景

 困窮した議論がさらに困窮し。
 話題がハイパーリアルになりながら、しょーもない正義の連帯がネット参加の奇妙なインフレーションを誘う。
 というあたりで言うと皮肉っぽいがそういう意図ではないが。
 ⇒はてなブックマーク - 分裂勘違い君劇場 - 子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明
 まあ、なんつうか。書いている本人が思うこととブクマの数の乖離はなんだろとちと思うがまどうでもいいといえばどうでもいい。
 ブログの過去エントリは読まれない、と、言われている。
 どうもそうでもない。
 細く静かに読まれているし、ある意味で文学みたいに細く小さくしかし強く。
 そのあたりの動向が先のインフレーションからはかなり見えなくなる。
 ブログの風景が変わる。
 変わる要因は、基本的には忘却というかショートタームメモリー的な話題の流れだし、その背景にある個の孤独だろう。ある意味、増田がそういう部分を奇妙に拡張している、というかべたにいうと乗れる話題を探している。乗ることだけに意味があるかのように。
 ブログの作法というか様式というのはだいたいわかる。それがかなりブロガーの外部的なイメージに固定されているし、ブロガーもそれに答える形にならざるをえない。
 というあたりで少しスタイルを変えたブロガーが別の名前で文章を書いたとしても、それ自体はインフレーション的な興味の枠でしか関心を持たれない。単純に言えば暴きというくらい。しかし、そういうもんでもないか。
 ま、そうした流れとは別に。
 身も蓋もない系の女性のブログが面白い。どうしても女性という目でさらされた時代はもう少しすれば終わるかどうかはわからないが、大手小町でもいいしもっとベタに社会にいる女性の言葉がブログに出てくると面白いのだが、が、というのは、ブロガーとしての様式は外部からの拘束的な視線にどこまで耐えられるだろうか。そのあたりの、しゃらっと自分をこなす身の振り方が女性には難しいのではないかと思うことがある。もちろん、女性の本質とかいう問題ではなく、女性というエクリチュールの問題だ。
 話はすこしずれるが。
 文学者が成功するかしないかとのかなりの要因は実はルックスである。その文学へののめり込みみたいなものを商用的に引き込むにはルックスが重要になる。もちろん、美男美女というだけではなく知的であったり尊厳であるかであったり。そのあたりから、顔を見れば人がわかると思いたくもなるし、あらかた世間知的にはそういう面もある。
 ただ、そうとばかりもいえない。
 男も女もおそらく30代まではそうでもないが、40代になると、男には女の匂いが、女には男の匂いが漂いはじめるし、それは顔にもだろうが、文章に出てきてしまう。男が女っぽく書くとか、男が女経験談を書くといった表層の問題ではない。というかそんなレベルのものはギャグ以上の意味はない。

ざっくりとだけ

 年明けからちょっと別件で思うことがあり、ついでにタントラ関係のものを読み、ついでにチベッタン・システムと美術関連のものを読みながら、つらつらAUMのことを思い出した。単的に言えば、彼らは教義とシステムを完成させていたか?という点だ。吉本はこれを麻原に帰着させているようだが、そこがよくわからない。
 昔ニフティのことだがAUMerはけっこううじゃうじゃいて奇妙な神秘学を語っていた。ただの独断というのはどうでもいい雑音なのでその雑音からどう教義を聞き取るか、あるは権威を聞き取るかが難しいし、彼らはあまり正確な仏教の知識というか史的な知識をもってなさそうなのでおよそ対話にはならないと思った(教義と学問の差が理解されてない)。ま、これは今でもそう思う。が、ある程度チベッタン・システムなどを知っているなら麻原の教義の出所や水準はわかる。チャクラ関係の教説は神智学を経由しておりインドやチベットのネイティブな伝承ではなかった。このあたりは中沢新一に補強されているのだが彼自身僧にブレーンウォッシュされているのが気が付いてないんじゃないかと思えたのが喜劇というか悲劇というか、ま、これは放言で言うのだけど、中沢は知が暴発しないよう善人として死ぬようにセットされてしまった。もうちょっとGとかに中沢がインサイトを持っていたらああはならなかっただろうなと思うが。吉本は麻原のそうした教義と体験的なものを宗教家としてすごいものだと理解したがそれはちょっと勉強が足らなすぎ。ただ、この吉本の誤解はしかたがないというか正鵠の一面もあり、吉本は浄土教のああいう神秘系の意味に魅了されていた。そこが吉本のダメなところでもあるのだが、親鸞がああいうものを完全に無化しそのことの思想的な意義を了解しながら浄土教のシステムへの色気が消えていない。そこには麻原などがつけいるといった構造なのだが、この構造は吉本だけとは限らない。
 ま、どうでもいいといえばいいのだが。
 AUMのなかで教義が完成していたのかというのが難しい問題で、もしそれが完成していたなら誰が完成させたのかどのような意図が出てきたのか。これが吉本が夢想するように麻原本人なのかというのがよくわからない。サリン事件などを見るかぎり、麻原はある程度教義を理解していたかもしれないと思う。というのはサリン事件を起こすなら高弟を使う必要があったか? もちろん秘匿のために高弟を使うというのはあるし、そのあたりあの事件の別の側面が隠れているだろうとは思う。ただ、麻原自身はすでに高弟らのグルとしての精神的な支柱であろうとしながらそのエフェクトについてはすでに現実認識を失っていたのではないか。
 問題は教義だ。ニフティのころだが、AUMのある意味で中心的な(組織的に中心ではないが)意識にいた人物が埋蔵教典にこだわっていた。どうもAUMのなかで埋蔵教典を権威にして教義構築をしていたふうであったし、それはチベッタン・システムにある程度理解のある人ならミッシングピースをつなげてみたい知的な欲望にかられる。

中医薬事件メモ

 ニュース⇒巣鴨の薬局経営者逮捕 組織的詐欺も 教授関与を捜査 :

 薬剤師の資格がないのに薬を調剤・処方したとして、警視庁生活環境課と池袋署などは二十三日、薬事法違反の疑いで、東京都豊島区巣鴨三の漢方薬局「健命堂」経営森田喜代重容疑者(56)を逮捕した。同庁は昨年五月以降、渋谷、港、千代田各区にある三診療所の名前だけ記入し、処方内容が書かれていない不審な処方せんを同薬局などから多数、押収。森田容疑者が診療所と共謀し、調剤報酬などを不正受給した組織的詐欺の疑いがあるとみている。

 調べでは、森田容疑者は昨年一月四日から同五月二十六日までの間、保健所に届け出ていた管理薬剤師を常駐させていなかったにもかかわらず、客に漢方薬を調剤・処方した疑い。森田容疑者は漢方薬の専門医「中医師」を名乗っていたが、日本の薬剤師の資格は持っていなかった。
 
 同容疑者は任意の事情聴取などに年齢を五十一歳としていたが、その後の調べで五十六歳と判明した。

 ⇒森田中医師

中医師 森田喜代重(もりたきよえ)
 
・健命堂専属中医
・韓国・慶熙大学研究員 (日本人女性初),
 中国・上海中医薬大学中医師。
・財界や経済界などの雑誌等に漢方に
 関する記事を多数掲載。好評を博す。
 また,中国のマスコミでも,取り上げられる。
・心の漢方を唱え,患者から強い信頼を
 得ている。
 各界,地元からの信望もあつい。
 
中医師とは:漢方薬の専門医のこと

増田より コンピュータエンジニアになる方法

 ⇒無学歴無職歴の僕がコンピュータエンジニアになる方法

無いか。

 そのトラバ
 ⇒http://anond.hatelabo.jp/20070123173309
 ⇒向き不向きがある
 ⇒anond:20070123173309
 
 無学歴ではないけど⇒ITmediaニュース:2ch発「Mona OS」作者がはてなに来た理由 (1/2)

 ただ、なんつうかプログラミングというのもいろいろあって、ある分野は神でもそうでないとそうでもないというのはある。あと、微妙にセンス。

今日のtypo 「のたらさない」

高官、「家族計画は出生人口の性別比のアンバランスをのたらさない」

 ここ数年、中国では、出生人口の性別比のアンバランス状態がひどくなり、生まれてくる男の子が女の子よりかなり多いという現象が現れ、今の性別比は約121対100で、正常である104対104ないし107という水準を越えています。
 
 これについて張維慶議長は「性別比のアンバランスの拡大情況をもたらした原因はいくつかある。それは昔からの男尊女卑という伝統的な観念が作用していることが、農村の生産力が低く、社会保障システムが完備されておらず、胎児の性別の検定設備も乱用されているためだ。もちろん、家族計画の実施は出生児の性別比のアンバランス拡大とはある程度関係がある。東洋の文化圏では、家族計画が実施されていないインドや韓国などでは、この面である程度のアンバランス状態が見られる。不均衡が存在している。中国ではすでに一連の措置を取られ、人口性別比のアンバランス深刻化を抑えている」と述べました。

 
追記
 typoは修正されますた。ま、そこがこの記事のポイントではないんですが。