産経社説 成田空港 さらなる優位性を生かせ
こうした利便性の向上に、日本でのビジネス上の必要性を結びつければ、成田のアジアにおける拠点空港としての重要性はもっと増してこよう。
なんか変な物でも食ったか、産経。
読売社説 [阪神株TOB]「球はファンドに投げ返された」
そういうこっちゃないだろと思うが、ま、どうでもいいや。
朝日社説 朴さん襲撃 あの悪夢がよぎったが
中華圏(つまり臣下の朝鮮を含む)では暗殺者は英雄。安重根を賛美する文化においてこの朝日社説のような話は戯言。
宮台先生現代の状況を語る
いまだに⇒「援交少女3世代に男のコたちはガクブルなのだ」の巻 - MIYADAI.com Blog
宮:男のコたちは、同世代の可愛いコが自分の手の届かない存在だということを、自分自身に納得させるために、「ケッ、金で釣られやがって」と自己合理化するようになったんだ。違うのに。
反論がたくさん集まる伊予柑。
みんなが認める当たり前なんてないなんて当たり前
個人ブログに書かれる文章が書き手の一主張なんてことはない。それが「常識」だったり単純に「常識」を裏返したりってことに過ぎない。人間はそれぞれ物事に対して「こう思う」という考えを持つことはほとんどない。思考の根底にはまわり空気を読んで自分の位置を確かめるスケベ心というのが存在する。そのスケベ心が強ければ強いほど多様な意見とか個性的な意見があるかのように思い込むし、自分の考えは「常識とは違う」とか、「それは常識だ」とかとして捉えてしまいがちになる。
ときに断定的な書き方をし、「常識」や「当たり前」という言葉で自分の文章を包み、読み手にべたな合意を与えてしまう。読み手も一般のネットマナーや、例えばブログなら「トラックバック論」の共通認識を過剰に求めたり、アフィリエイトのたしになっている気がしてならない。「凡庸人間」がネットにもフツーあるということだ。仮にそのブログで「こんなの当たり前でしょ」とか「そうじゃないだろ」なんて文章を目にしても、どの道、読者の理解の基盤とそれほど違っているわけじゃない。ネットの文章と限らず、読める文章なんて片手にコーヒー、片手にビザ饅で「ふーん」くらいの気持ちにしからない。それにブログ論なんて曖昧なものなら誰でも参加できるからね。
と、こんな事を書くと「また洒落を書いている」なんて反論がきそう……。洒落を理解する気が無いならブログなんて読むななんて亀甲様みたいなことを言うのも身勝手かな。
今日の野暮
⇒「ダ・ヴィンチ・コード」とかけて「小泉改革」と解く (寺山正一の「新・産業夜話」):NBonline(日経ビジネス オンライン)
手短にいくつか興味深い例を挙げてみよう。「現存する聖書はすべて写本で、聖書の原本というものは存在していない」「旧約聖書と新約聖書の間には、カトリックだけが正典と認めている旧約聖書の続編がある」「イエスの生涯を記した4福音書の中で、最も古いと見られるマルコによる福音書は、元々はイエスの復活の現場を描いていない」
上記の論点は、ごく一部の原理主義的な教派を除き、現代の教会が普通に認めている事実である。
本来の福音書はここで終わり、その後は「後代の加筆と見られている」ことを表す〔〕でくくられている。この加筆部分でイエスは復活し、まず話題のマグダラのマリアの前に現れて、11人の弟子(ユダを除く)の前に現れ、天に上げられる。
えっと、マルコ書は「本来の福音書」とかではないです。
たしか、Qにも復活の記載はないけど。
でも、ヤコブやペテロの原始教団には復活の認識が入っていないとも言えないというか、入っていると見ていいので、キリスト教の起源に復活があったと考えて妥当なのでは。
くどいけど、原始教団の成立は、マルコ書やQの成立とイコールではないです。
今日のひどいもんだなココログ
では、今日のひどいもんだなココログの時間です。今日は……自称グーダラ主婦さんです。
⇒グータラ主婦のひとりごと♪: ごめんなさい m(_ _)m
昨夜から、ココログ絶不調です。
(私だけ?)
いえ、あなただけじゃありません、てば。
コメントのお返しが出来ない状態です。。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。
ブログ表示に朝のこの時間でも、なかなか表示されません。
ごめんなさい。m(_ _)m 時間がかかりそうです。
遊びに来てくれた皆様、ご迷惑おかけします
いえいえ、悪いのは、悪いのは悪いのは悪いのは悪いのはぁぁぁ。。。.....