今日の野暮

 ⇒「ダ・ヴィンチ・コード」とかけて「小泉改革」と解く (寺山正一の「新・産業夜話」):NBonline(日経ビジネス オンライン)

 手短にいくつか興味深い例を挙げてみよう。「現存する聖書はすべて写本で、聖書の原本というものは存在していない」「旧約聖書新約聖書の間には、カトリックだけが正典と認めている旧約聖書の続編がある」「イエスの生涯を記した4福音書の中で、最も古いと見られるマルコによる福音書は、元々はイエスの復活の現場を描いていない」
 上記の論点は、ごく一部の原理主義的な教派を除き、現代の教会が普通に認めている事実である。

 本来の福音書はここで終わり、その後は「後代の加筆と見られている」ことを表す〔〕でくくられている。この加筆部分でイエスは復活し、まず話題のマグダラのマリアの前に現れて、11人の弟子(ユダを除く)の前に現れ、天に上げられる。

 えっと、マルコ書は「本来の福音書」とかではないです。
 たしか、Qにも復活の記載はないけど。
 でも、ヤコブやペテロの原始教団には復活の認識が入っていないとも言えないというか、入っていると見ていいので、キリスト教の起源に復活があったと考えて妥当なのでは。
 くどいけど、原始教団の成立は、マルコ書やQの成立とイコールではないです。