イチホゲ

 ⇒asahi.com:平凡・無害なウイルス、実はがんキラー 米チーム確認 - 暮らし
 ま、一見、話は面白いわけですよ。
 で、ぶくま的にはこう。
 ⇒はてなブックマーク - 平凡・無害なウイルス、実はがんキラー 米チーム確認
 ま、余計なお世話だけど、ここで、一応「なんで今頃? これって、6月21日のロイター通信のネタなんだけど。」と突っ込んでおきましたが…ちょっと無粋だけど。
 このネタ、古いんですよ。
 たとえばCNNを見てごらん
 ⇒Common virus 'kills cancer' Wednesday, June 22, 2005; Posted: 9:17 a.m. EDT (13:17 GMT)
 というわけで、ロイターより一日遅れたけど、Jun 22です。先月の話。
 なんでこんなもの今頃、朝日新聞がニュースにして、…ちょっと言いづらいのだけど、ぶくまがぺとぺとしちゃうわけ…とこんなニュースにヲチせいという些細な小言を言うのはちょっと無理があるのでそこまで言わないけど…。
 ま、朝日のこのニュースはホゲですよ。
 ただ、しいて弁護すると、先月時点から今月になって発表というフェーズになったということかもしれないけど、それにしてもだね、この朝日のニュース、ソースが書いてねーの。

誰でも感染経験をもつ平凡で無害なウイルスが、実は、がん細胞だけを狙って殺せる「すぐれもの」だと分かった。米ペンシルベニア州立大のチームが発表した。新たな治療法への発展も期待できるという。

 どこに発表した書いて味噌。
 なんか、重箱ツッコミのようだけど、私ゃORZ

今日の新聞各紙社説は…

 特に主要な話題はない。
 社説的に良いのは産経の「障害者自立支援」ではないか。こういう地味な社説がきちんと書けるのは産経にもそれなりのバックボーンはあるということだろう。
 それに反して、毎日新聞社説、エンタとしてはサイコーなんだけど、新聞の体をなしてなくなりつつある。ま、それも時流の適合かもしれない。総じて毎日は外信がいいのだけど、個性が出すぎで外したときのハズシかたがなんかブログという感じがする。
 韓国の問題はもうなんか考えたくもなくなくなってきた。尻ぬぐいみたいなポジションに日本が立たされるのをできるだけ避けるべきではないかなという印象。礼儀正しくこの国には無関心であるべきか。

●日経社説 多様化と省エネでエネルギー安定図れ

 パス。どうでもいいよ、こんな話。

●産経社説 障害者自立支援 制度工夫して持続可能に

 意外に普通によい社説。

 もともと支援費制度の利用が厚労省の予測を大幅に上回った背景には、障害者に対する社会の支援がこれまで十分ではなかった現実がある。就労に関する支援を整えなければ、負担に対する不安は消えないだろう。参院の審議では、このような点も含め、制度の利用当事者が不安を解消できるよう議論を積み重ねることが必要だ。

●産経社説 対北電力支援 韓国は国際社会に責任を

 なんか、もう、ほっとけ。

●毎日社説 社説:視点 経済財政白書 論説委員・今松英悦

 なんなんだこれ?

いまのデフレが日本経済にとって悪いものであるのかどうかは、本当のところ経済学的に証明されているとはいえないだろう。

 これじゃ、通称リフレ派が元気になる…ってか呆れるだけか。私としては、「経済学的に証明」というところにホゲな味わいを見いだすけど、それもまた、風流。

●毎日社説 世論調査 迷走「郵政」に民意はリセット

 よくやるよ。っていうか、ここまで言うのはある意味で偉いかも。
 とはいえ、論旨はめちゃくちゃな印象を受ける(っていう表現にしとこ)。

●読売社説 [東南アジア]「FTAで加速する中国の影響力」

 うーん、いまいち曖昧な社説だが、これは確かに問題だな。
 タイは潰れそうだし。
 基本的に東南アジアというのは、実権力を華僑が握っていて、ナショナルな動きが遅れる。そしてナショナルが動きが出るころは、華僑がメディアの糸を引く。というトホホ回路で押し切れるものか。
 このあたり、日本はこっそりとしかし、実際的な力の布陣をすべきだろうと思うけど、そういうキンタマを持つ政治家はいないかなんて言ったら暴言ですよね。

●読売社説 [政治資金規正法]「献金授受の透明度を高めよ」

 またこれか。
 こういうのも小泉政治ってことなんだろうか。実動部隊がいるのだろうか。

●朝日社説 三重県の産廃 見て見ぬふりが行政か

三重県では、今回のほか、きちんと処理されていない産廃の山が10カ所ある。過去の責任の追及とともに、目の前の産廃の撤去も急がれる。長い間、見て見ぬふりをしてきた罪は深い。

 よく言うよ。
 三重県だけじゃないよ。
 朝日がこれを問題にするなら、ちゃんと腰を据えてくれ。ちなみに、手始めのお薦めは、沖縄南部戦跡巡りをするといいと思う。

●朝日社説 東証 上場を急ぐことはない

 パス。

イチネタ

 ⇒【mumurブログ:船橋図書館焚書事件の土橋悦子さんの本が不自然に大量にある件について
 ま、この作業は誰もできるわけで、それをきちんとやるかやならないかで、mumurさん、これは突撃物じゃないけど、よくやってますよ。
 こういうのがブログだと思いますね。
 その、イデオロギーがどうたらじゃなくて、きちんと市民が自分で見るということ。
 そして、これは、きちんと、ネタだと思うという意味で、イチネタ。

そろそろ誰かがモヒカン族は終わったと言い出すころ

 チキンレース、だ、ぞぉ、と。
 斬込がまず総攻撃を受けるは必死。
 攻撃は、まず、「なんたらは終わったというのはどうよ」ってか。
 そして、乱闘。
 その惨状期待高まるので、ヲチ。

やる気を出すための10個の方法

 ぶくまのはこれ⇒i d e a * i d e a - やる気が出る10の方法
 オリジナルはこれ⇒Expert Advice Tip Sheet -- Top Ten Motivators -- OnlineOrganizing.com

 finalvent超訳は↓

目標をとりあえず確実なせこいレベルにしてみる。
カネが欲しい、とかじゃなくて、300円欲しいとか。
とりあえず1日15分はやってみそ。
寝る前に15分ダンベル体操するとかさ。ダンベル体操と限らず1時間やるなよ、疲れるから。
キャッチフレーズを考えろ。
「働けばカネが入るぞ法隆寺」とか。
助けてくれそうな人を探せ。
毒板に書き込むとか。
やりたいことを公言してみる。
エルメスさんと※※※したいんだけど、どーするの?とか。
とりあえずやるっきゃないの雰囲気をつくる。
いとしのエリー歌います!」とか手を上げるなど。
箇条書きしてみれ。
ついで壁に貼っとけ。中国人なんかお札のポスターを貼ってるぞ、と。
たまには達成度を反省しよう。
ま、20%くらいかな、とか。
達成に見合った打ち上げをしようぜ。
よっしゃ、今日はおごったるぜとか。
うまくいったら、十分ニヤニヤしとけ。
人に見られて恥ずかしいくらいにな。

ちなみに私家版やる気を出す方法

 やる気がないのは

  1. 疲れているから。
  2. ほんとはやりたくないから。
(1)だったら、寝るとか、漫画読むとか…。
問題は、(2)。この場合、通常は、やりたくねーとかぶつぶつ言って、とりあえず、できるとこまでやる。
 だいたいにおいて、ほんとはやりたくないようなものを自分がする必要というのはあまりない。
 たとえば、仕事したくねーの場合、いやいややるか、やめた場合の状態を味わうか、のどっちかを価値判断すればいいだけのこと。
 ちなみにというか、いやいややっても、やめてだらだらでも、それほど違いはない。
 だいたいが、自分の存在価値が高い人間なんてそうはいないのだから、それほど有意義な仕事はない。
 たいての場合は、カネとか、恋愛とか、高望みをするのでガンバルものだが、それほどこの分野に頑張れる適性のある人は少ない。というあたりで、大抵はスタートラインで負け負けなのを無理しゃう。
 松下幸之助が人に成功の秘訣はと訊かれて、答えていわく、「無理をせなんだ」。
 ま、松下幸之助の無理なしレベルは常人のそれではないので、こんなやつにかなうわけがない。
 で、人間どこなく無理して寿命を縮めていくものだが、しかたないね。

もうちょっとまじめにやる気を出す方法

 なのだが、これは、意志を持つこと。
 心のなかにきちんと意志を獲得すること。
 あー、私は、これをするのだという意志を持つこと。
 意志の特徴は、無理をしないこと。長くやること。くじけないこと、というか、意志があれば、諸問題をただ解決していくだけなので、問題はできるかできないかという二つだけなので、くじけるという選択はない。
 そして、どうも、意志というのは、できないと予想することではなく、それをすることが人生になってしまうようなそういうありかたのようだ。が、ま、あまりそう考える必要もないだろう。
 意志を持つというのは、ある種の無意識との対話みたいなものなので、そういう心の問いかけみたいなコツというかがないとうまくいかないのではないかとも思う。
 多くの人は(自分も十分に例外ではないかもだが)、なにかをするとき、できる(自己の能力)=自負心、みたいなものを世界に向けてしまう。それは、つねにできない、というか、自己能力への不信の無意識のポテンシャルを高めてしまう。しかし、それこそが、失敗の元。
 意志を持つ人間には、自己の不信というマイナスのポテンシャルがないだけ、楽になる。
 っていうか、たぶん、意志というのは、結果を神とかそういうなにか超越したものに預けるという心構えのような感じもする。
 自分なりになにかをする使命みたいなものがあれば、能力はそれに付随するわけで、そのあたりの使命というか呼び出しというか、無意識からの問いかけというか、それが意志なので、むしろ、意志を持つというより、意志を聞くのだと思う。
 自分がなにをするかというのは、実は、そうした意志から問われていることにのんびり従うことなんだろう。
 とか、書くと、どうも宗教めいているのだが。

意志を養うにはゼロから作ってみること

 うまく言えないのだが、なにかをするとき、ゼロから作ってみること。プログラムでスクラッチというか車輪の発明というかというのは冗談だが。というのも、ゼロから作るというのともちょと違うか。
 なにもない状態と意志の発現を明確に意識すること。
 自分についていうと、旅がそうだった。どこかに行きたいというだけではなく、自分の意志でそこに自分を置いてみるようにすること。つまり、ツーリストとかのお膳立てではなくということ。
 なにかができたとき、その存在の根幹に自分の意志が明確に反照されるようななにかを作り出すという経験のなかで、意志とのコミュニケーションのコツのようなものを覚える。
 いまひとつうまく言えてないかもだが、自分が意志以外ゼロになる感覚というのだろうか。
 設計書を書いてそれが可能な条件を作りそしてそれを実現するという手順はシステムである。
 もちろん、結果的にはそうなるのかもしれないが、そうではなく、意志がゼロからなにかを作り出すという意志の発現の感覚が重要。
 既存の条件からリダクトされるものではなにか。
 こうすればこうなる、ではなく、こう意志したからこうなるというなにか。

自己の能力に頼ると無意識が失敗を予想する…

 ので意識と存在(無意識)に軋轢がおきて、そこで意志のエネルギーは摩滅してしまう。
 高校生のとき、あるとき、ふと悟って、試験がそれほど苦しくなくなったのだが、こういうことがわかった…。
 試験の結果というのは、自分の能力というか自分の勉強の結果なのであって、仮に、ここに自分とまったく同じアンドロイドがいて、それに能力があれば、それなりの結果を出す。
 つまり、試験の結果というのは、メカニカルなリダクションでしかなく、意識の努力なりは、そのメカニズムには雑音でしかない。
 「がんばろう!」とか「根性!」とかとかとか心理的なテンションとか姑息な手法でやる気を盛り上げても、結果は結果だし、その結果に至るまではメカニズムでしかない。
 最適なアンドロイドがいたら、甲子園には必勝する。物語は存在しない。勝つか負けるかはただ、能力の一次的な関数でしかない。
 努力というのは、だから、一番、無駄なことなのだが、そう言っても通じたためしはないが。

石けんに凝ったついでに…

 垢すりというのか、へちまというのか、なんというのか、あの、身体をこするやつ、なのだが、どうも、性能がいまいちなので、いろいろ買っては沈没している。
 ブラスチックみてーのは肌に痛いので、木綿とか絹とか…これが泡立ち悪い悪い。
 結局、ブラスチックみたいので泡立ててあとは軽くなでるようにしているのだが、うーむ。
 外人が使うブラシみたいなものなぁ。
 石けんの道は険しい、続く…。