今日の新聞各紙社説は…

 当方の虫の居所悪しというだけかもだが、なんかつまらん変な社説が多かった。
 毎日の道路公団民営化、日経のドイツ政局など、と、とんでもねぇ話のように思えるのだが、なんか、もう捨て置く。
 海の日だからって取って付けたような海関連のテーマにすることはないのにと思うが。

●日経社説 経済が揺さぶるドイツ政局

 うーむ、これもトンデモ社説に思えるが、批判するのもたるい。

●産経社説 経済財政白書 受益と負担の具体像示せ

 パス。内容なし。

●産経社説 】敬語の在り方 曖昧化する国語の再生を

 くだらね。

●毎日社説 道路公団談合 民営化でもっと悪くなる?

 トンデモ社説の印象があるが、ま、どうでもいいか。

●読売社説 [海運の国際化]「『日の丸』の影が薄れる外航船」

 問題がなにかわからない。

●読売社説 [文字・活字文化]「『振興法』で読書環境の充実を」

 パス。これ読売の自社ネタですよ。憲法床屋談義といい、読売新聞、あほか。

●朝日社説 寄付文化 税制の後押しで育もう

 パス。話がつまんね。

●朝日社説 米最高裁 世界も見守る判事選び

 はて、この話題が日本の新聞の社説にか。

イチネタ

 ま、これでしょ。
 ⇒台湾軍事介入なら米を核攻撃の用意…中国軍幹部が発言 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 読売は発言の背景をそれなりに指摘。
 ⇒asahi.com:米が台湾に軍事介入なら「核使用も」 中国軍高官が発言 - 国際
 朝日は火消ししたいらしい。
 元ネタはこれ
 ⇒FT.com / World / Asia-Pacific - Top Chinese general warns US over attack
 オーストラリアあたりで話題か。
 ⇒Google Search: Zhu Chenghu
 別にもひとつ⇒Google Search:Zhu Chenghu

会社連休にして学生も夏休みか…

 ということで、ネットが少し枯れてきている。
 大衆の活動の総体が抑制されるわけでもないので、どこかにシフトしているのだが、ま、単純な話メディアではない、ということはよいことだ。
 ただ、なんとなく、メディア的にはテレビかなという感じはする。
 昨日、NHKののど自慢でソウル大会をやっていたが、某所でぼんやり聞いていた。

ブログとかってぷちうよばかりかと思ったら…

 いるところにはうじゃうじゃプロ市民みたいなのがいるので、感動した。
 もしかすると、この手のかたから攻撃を受けていたのか?
 っていうか、私なんかぷちうよに見られているからな。
 ま、議論ですむなら多事争論あってよろし。
 ただ…
 こういうのもなんだが…
 その手のブログでブログ界っていうか、端的に言えばPVはかなり低いのではないか。
 なにがブログのPVを支えているのだろうか?
 もちろん、ただ有名人とかいうのはありで、ま、それはある。
 で、もしかすると、それで、終わりってこともあるかも。
 もう随分前になるのか、小林よしのりHIV関連の運動から決裂するとき、ベタな運動みたいなメッセージじゃ漫画というか作品のクオリティにならないんだみたいに言っていた。ぶっちゃけ、売れないことを言ってもしかたないということでもある。その意味で、売れるところと言いたいところを、彼は彼なりにうまくバランスしてきたし、単に、ぷちうよマーケッターというものでもないだろう。
 私について言えば、ブログは読まれて欲しいと思うし、読まれるべく書くべきかと思うことはあるし、グーグル様のお怒りを買うエントリばかりもなとは思う、が、本質的には、どうでもいいことだ。
 この日記にいたっては、さらに、そ。
 読まなくっていいの存在なのだ。
 うまく言えないがブログってなんだろなとは思う…いわゆるブログ論とかじゃなくて。

そういえば、はてなって20代あたりが中心か…

 ま、30代前半もぶいぶいって感じはする。
 総じて、ブログっていうのは、20代後半から30代のメディアで、40代からは、なーんかはずしてるよね感は漂う。
 ただ、掲示板とかとは違って、話し言葉とは違うから、それなりに日本語を書かないといけないので、ふつーの子だと20代前半では無理目だろうし、っていうか、書ける子と書けない子に別れるのかも。
 あー、そうだろな、って書いてて思うのだが、書ける子しか書いてないわけだよな。
 ほいで、そんなものマスになるわけもない。
 話はちょっとシフトして…
 恋愛とかも、ブログとかだと、それは語られる恋愛とかになるわけで、すべからく語られるべし的に語られてしまうから、なーんか日常の感性とはち・が・う。
 ただ、ほいでも、なんとなく思うのだが、なんか体験っていうのか経験というのが、とても言葉化しているような気はする。物語化とでもいうのか、マニュアル化とでもいうのか。電車男なんぞも、ただのテキストだよね、ありゃ。
 人生、そーいかない部分、語るに語れない、書けない部分っていうのが98%くらいはあるもので、って、比率の問題でもないが、なんつうか、たとえば、私みたいに人生完了型のオヤジだと、死人のごとく生の世界について語るわけよ。死んでいるに等しいから、物語なわけで、しかし、渦中にある場合、そうではない、は・ず・な・の・だ・が、なーんとなく、それも物語な印象は受ける。

はてなQ 知り合いに、社交性がやや低いというか人付き合いが不得手な人がいて、

本人もそのことを自覚しているために、そうみられないように逆に強迫観念的に他人におもねってしまう(極度に低姿勢になってしまう)のが辛いという話をききました。社交性が低い原因は本人によると自分自身に対しての根深いコンプレックスにあるようで(その内容は具体的にはきいていません)、そのコンプレックスを取り除ければ性格もかなり改善できるはず、なんとかしたいと言います。私には彼がそんなコンプレックスを抱えているようには見えないし、ちょっとした自意識過剰では?と思うのですが。
 それでおききしたいのは、広告などでの催眠療法自己啓発セミナーの類は今まで怪しげに思ってチェックもしていなかったのですが宣伝文は自分のコンプレックスを取り除いて性格が改善できる、などと書いてあります。実際のところ、どうなんでしょうか?また、医療機関心療内科というのもあるようですがそっちを勧めたほうがいいのでしょうか?それぞれの費用についても知りたいです。また、お勧めの場所、クリニック等があればそれもあわせて教えていただければと思います。

 ふーん。

そういえば、10代20代には性格だの孤独だの死ぬだの苦しいだの悩んだものだが…

 ま、いまだ解決してないし、人生終盤コーナーに加速しているに解決の見込みもない、っていうか、概ね、飽きた。
 生きてみてわかったことは、自分は大した人間ではないな、おお、なんて凡庸なんだということ。
 世間を見回してみると、ま、たいていは、そんなもの。
 これが工場だったら、不良品だけ製造してんのにかわりゃねーし、歩留まりも考えい的ではあるが…。
 しかし、事実としての世界はこんなものだ。
 なんで、こんな世界に、こんな私が投げ出されているのか?
 そこがいまひとつ腑に落ちない。
 なんというのか、間違った鉛筆の生涯とでもいうのか、中の芯は三カ所くらい折れてるよーん、みたいな。
 とはいえ、完全に自分は凡庸かというと、自意識というのはどうも可換なものではないし、自分が死んでしまうと世界の認識者である私そのものが消えるという奇怪なことになることもあってか、なんか、自分は特殊だとまるで思ってないわけでもない、が、ま、その自我の構造は見るに凡庸だが。
 もちろん、1000人に一人くらい凡庸でない人間はいる。
 私はそうではない。
 私はそうなりかったかったか?
 なりたかったようには思うが、が、それって結局、体験できずじまいの人生であり、結局のところ、それがなんであるかはわからない。
 天才の伝記など読むに、ま、それも凡庸な物語の枠組みのせいか、凡人にわかりやすげになっていて、実になんだかわからない。