そういえば、10代20代には性格だの孤独だの死ぬだの苦しいだの悩んだものだが…

 ま、いまだ解決してないし、人生終盤コーナーに加速しているに解決の見込みもない、っていうか、概ね、飽きた。
 生きてみてわかったことは、自分は大した人間ではないな、おお、なんて凡庸なんだということ。
 世間を見回してみると、ま、たいていは、そんなもの。
 これが工場だったら、不良品だけ製造してんのにかわりゃねーし、歩留まりも考えい的ではあるが…。
 しかし、事実としての世界はこんなものだ。
 なんで、こんな世界に、こんな私が投げ出されているのか?
 そこがいまひとつ腑に落ちない。
 なんというのか、間違った鉛筆の生涯とでもいうのか、中の芯は三カ所くらい折れてるよーん、みたいな。
 とはいえ、完全に自分は凡庸かというと、自意識というのはどうも可換なものではないし、自分が死んでしまうと世界の認識者である私そのものが消えるという奇怪なことになることもあってか、なんか、自分は特殊だとまるで思ってないわけでもない、が、ま、その自我の構造は見るに凡庸だが。
 もちろん、1000人に一人くらい凡庸でない人間はいる。
 私はそうではない。
 私はそうなりかったかったか?
 なりたかったようには思うが、が、それって結局、体験できずじまいの人生であり、結局のところ、それがなんであるかはわからない。
 天才の伝記など読むに、ま、それも凡庸な物語の枠組みのせいか、凡人にわかりやすげになっていて、実になんだかわからない。