まだ連休でもないとも思うが…
かといって、普通のウィークデーというものでもないか。明日が世間様の仕事納めか。
ブログの動向はちょっと変化があるようにも思える。学生がひいているからか。印象だが、受動的にネットを見ている層が膨れているようだ。受動的というのもなんだか。
と、いうか、このあたりの統計があるかわからないが、TVからネットへのシフトが起きていて、しかも、そのシフトは意外にブログが小さくはないのではないか?
これが今の規模の数倍になると、CMなりがこちらにシフトせざるをえない。
話がそれるが、世間のプローブもかねてちょっくらアフィリエイトなんかもつけているのだが、先日、れいのライブドア証券のがけっこう来ていた。しかし、こんなアフィリエイトはいくらなんでも付けられないでしょうと思うが、アフィリエイトが普通のブログの感覚になれば事態は変わるかもしれない。
というか、アフィリエイトも違った側面を持つようになるだろう。
消費の動向が通販系にどう流れていくか。米国のように配送無料はあるエポックにはなるだろうし、実質東京圏ではすでに可能だろう。ここに日本の人口の1/3近くが集中しているから、さっさとやったやつが勝ちだが、今ひとつ全国配送のような幻想に捕らわれるのかもしれないし、配送の拠点が東京圏ではない場合のデメリットが大きいか。
むりまとめではないが、ブログ試聴の層はアクティブに増加しているのだろうか? であると、この動向は社会変動になるだろう(ま、ブログのオピニオンとかではなくて)。
Google Groups
な、なんだ、これ!
イラク選挙、スンニ派最大政党が参加取りやめ
スンニ派に根性なし。
吉野家、9─11月期の業績は黒字に転換
へぇ。ということは、その算段があってのことだったのか。
中国暴動
⇒Google Search:
メモ。
ウクライナ大統領選、野党のユシチェンコ候補が勝利宣言
そうですか。
裏ブログ…
そういえば、言の葉さんだったか、裏ブログの話を書かれていたが、どうしても、ブログはどうしても裏と表が出来てしまうというのはある。というか、ARTIFACT@ハテナ系とかでもそうだけど、ある種、それなりに既存メディアに向き合った経験のある人だとオモテの編集感覚みたいのは出てしまう。ので裏はできる。
ブログというのはどうやら、そこ(オモテ)からかなり必然的にずれるもののようだ。山本一郎などもそのあたり、奇妙なブレでもあるのだろう、というのがさまよえる実態か。彼の場合は、パソ通時代から2ch的な時代のある種の編集感覚みたいのがあって、ベースのオモテのブログにノイズをまぜているようだが、逆にノイズ部分が私的な表現部分とはうまく切り分けができない。ま、そのあたりが、一気にmixiに流れるという可能性もあり、ま、比較するほどでもないが、私なんぞ、こちらは、mixiに流れてもなと思うことはある。
しかし、そうもいかないのは、私的--公開性--ブログ--という背後に匿名の読み手の重さがあるからだろう。
話が循環するが、それが現状では、ネタと祭というところに吸収されやすい。
話はそれるが、今朝みたら、ココログでブログを本にしまっせという企画があった(進んでいた)。ノミネート段階だが(れいの暗いニュースは著作権でダメでしょ?)、ココログがなんとかブログというのを企画しようとしているようすが、滑稽とまではいえないものの、頭わりぃ感が漂う。もちろん、そうしたなかから、電車男のようなメディア的なヒットが出ることでブログの統制しやすいインセンティブにはなるのだろう。ま、ブロガーとしては、舐めてくれるよなではあるが、そうした企画があってもいいのかもしれない。
っていうか、キムタケなどは最初からその気構えでいたのだが、コケてしまった。
日本のブログ文化の現状…
というほど偉そうなことでないが…。
話のネタと祭のネタということかな。
と、すると、こういうシーンからできるだけ距離を置き、持久力を持つべきか…とか言って、取り残されていくのであった…ま、それもよし。
っていうか、R30さんとこの話題の論争追跡ツールみたいな知的ツールがあれば面白いには面白いし、スイスの全民民主主義みたいなものかもしれないが、実際は、論争整理のツールというのはノイズが高すぎると機能しないだろう。かといって、要所の人物に底上げの加点をするというのも、なぁ、である。
結局のところ、ある社会的な問題が投げられたとき、特定の人たちの人的な嗅覚のネットワークが重要になるという意味で、まさに隠れた村落的な連携になるのだろうか。もちろん、そうしたなかで山本のような花火も必要になるだろうか。
というか、「ブログ」が話題になってしまって、そこで語られるべきなにかがまだ話題にならない。というか、それがれいの論壇的なブログということかもしれないのだが…。
と、書きつつ、なんというか、市民サイドの定見というのが先の嗅覚的なネットワークとなると、かなりマスメディアはボディブローになるのではないか。
2chがかなり善戦したし、あそこまでなのかなとは思う、というのは、どうしてもネタや祭に走らざるを得ない。
話がずっこけるが、以前、essaさんだったか、大学で学びたかったのはこーゆーことというエントリを書かれていたが、今の高校生・大学生ならこのブログというツールを使うことで、可能性としては大学以上のことが学べるだろうなとは思う。
「Or Historical Choices of the Twenty-First Century」
ウォーラーステインを捨て去るための一冊。, 2004/08/21
(中略)
善意を積み重ねた結果が最悪の状況を招く、というのは現実によくある事態なのに。さんざん歴史分析を重ねた結果出てくる話がこの程度なら、結局かれのやってきた学問ってまったく現実的意味がないんじゃないか。そう思わせられる残念な一冊。
ふーん。昔と変わらないのか。
ちなみに⇒yamagata hirooのレビュー、ウィッシュリスト、"リストマニア"リスト
なるほど、すごいですね。うーむ、すごいですね。ほんとうにすごいです…うーむ。なんか脳に残便感のようなものが残るのはなぜなんだろう、皮肉ではないです。わかりやすく、評が的確すぎるからでしょうかね。
山形 朝日 Be 連載
自己責任コラムのときは、この欄始まって最大の反響があったというから、それはよかったと思ったら、ちがう! 対応に追われて大変だったのでこっちの苦労も察してほしい、だって。そうですか、反響のないあたりさわりのないのがよろしいんですか。そうきくと「いえいえそうではありません」って、もう責任逃れのお役所答弁以下のお答え。やる気一気になくなりました。連載を切られるときにも「山形さんの原稿は毎回楽しみだったのですがぁ残念です」と実に見え透いたことを嬉しそうにおっしゃる。
この表出は山本の影響? いやいやお二人ともこういう強い自分があるのでしょうな。
それにしても、朝日の唯一の希望の星がクリスマスの星が、消えてしまいました。
スマトラ島沖地震、死者1万1300人
絶句するなあ。こんなにも人が死んでいいものだろうか、って、いいわけはない。どうしてこんなことが起こりえるのか。
日本人死者も出たようだ⇒日本人観光客と見られる22人の遺体を確認
今日の新聞各紙社説は…
特に目玉となる話題はない。
インド洋沖地震の実態はまだわからないが、産経のように日本も他山の石とせよという議論をここで切り出すセンスがわからん。救済復興支援に日本も手を尽くせというべきではないか。
朝日の大阪三セク批判はごもっともだが、批判されている側ではそう簡単な話でもない。というか、タメの批判が多いなと思う。
読売の社説は、まさにこれが日本の情報の閉鎖性だなと、なんというか、感激すらする。
日経社説 金融再生、最終章は民間主導で
ちょっと溜息が出る。最終章なのかぁ。
産経社説 新行革大綱 小さな政府実現は疑問だ
小さな政府が好ましいと思うよ。産経の思考している社会はソ連みたいなものだよ。
産経社説 スマトラ沖地震 日本も周到な津波対策を
一万人近い死者被害をおいて、他山の石とせよ、日本、って言うものな産経。恥ずかしいと思わないのだろうか。
毎日社説 2大政党化 もたれ合いでは期待倒れに
民主党がなぁダメダメ。
毎日社説 無認可共済規制 金融サービス法が必要だ
正論だけど、政治がらみでもあるのだから、これはそう単純な問題でもないでしょ。
朝日社説 大阪市――三セクの重さに沈む
これはいわゆる正論。で、どうしろと、という感じだ。地方における三セクはカネの配分機構でもある。
朝日社説 警察の裏金――返すだけでは済まぬ
これは朝日の言うとおり。しかし、
自ら解明するのがむずかしいのなら、検察が捜査に乗り出すほかない。
その検察がなぁ。だめでしょう。