まだ連休でもないとも思うが…

 かといって、普通のウィークデーというものでもないか。明日が世間様の仕事納めか。
 ブログの動向はちょっと変化があるようにも思える。学生がひいているからか。印象だが、受動的にネットを見ている層が膨れているようだ。受動的というのもなんだか。
 と、いうか、このあたりの統計があるかわからないが、TVからネットへのシフトが起きていて、しかも、そのシフトは意外にブログが小さくはないのではないか?
 これが今の規模の数倍になると、CMなりがこちらにシフトせざるをえない。
 話がそれるが、世間のプローブもかねてちょっくらアフィリエイトなんかもつけているのだが、先日、れいのライブドア証券のがけっこう来ていた。しかし、こんなアフィリエイトはいくらなんでも付けられないでしょうと思うが、アフィリエイトが普通のブログの感覚になれば事態は変わるかもしれない。
 というか、アフィリエイトも違った側面を持つようになるだろう。
 消費の動向が通販系にどう流れていくか。米国のように配送無料はあるエポックにはなるだろうし、実質東京圏ではすでに可能だろう。ここに日本の人口の1/3近くが集中しているから、さっさとやったやつが勝ちだが、今ひとつ全国配送のような幻想に捕らわれるのかもしれないし、配送の拠点が東京圏ではない場合のデメリットが大きいか。
 むりまとめではないが、ブログ試聴の層はアクティブに増加しているのだろうか? であると、この動向は社会変動になるだろう(ま、ブログのオピニオンとかではなくて)。

救急車が出動するエスカレーターでの事故は、東京都内だけで月平均70件近くも起きている。

 救急車が出動するエスカレーターでの事故は、東京都内だけで月平均70件近くも起きている。社会問題化した回転扉や公園遊具での事故よりはるかに多い。連載企画「都会の死角」(5月28日−6月1日付)でこの問題を取り上げたところ、読者から右側歩行の習慣を疑問視する声などが多く寄せられた。東京消防庁は事故防止対策の検討を始めたが、事故はいまも一向に減っていない。

 世の中そういうもの。
 自転車事故やら、あの歩行補助装置の事故も少なくない。そういうもの。

スマトラ地震:死者は10カ国で2万2000人以上に

 一気に倍近くふくれあがった。そういうものだろう。広域なのでどう手をつけていいのかすらわからない。国際世界はこの悲惨から学ぶべきことが多くなる。

詩人の石垣りんさんが死去 「表札など」でH氏賞

 寿命といっていい。天寿と言って良いだろうか、幸福な人生だったのではないか。私にとっては率直にいうと好きな詩人でもない。茨木のり子には詩を見てもらったことあがる。石垣りんとは面識もなかった。

裏ブログ…

 そういえば、言の葉さんだったか、裏ブログの話を書かれていたが、どうしても、ブログはどうしても裏と表が出来てしまうというのはある。というか、ARTIFACT@ハテナ系とかでもそうだけど、ある種、それなりに既存メディアに向き合った経験のある人だとオモテの編集感覚みたいのは出てしまう。ので裏はできる。
 ブログというのはどうやら、そこ(オモテ)からかなり必然的にずれるもののようだ。山本一郎などもそのあたり、奇妙なブレでもあるのだろう、というのがさまよえる実態か。彼の場合は、パソ通時代から2ch的な時代のある種の編集感覚みたいのがあって、ベースのオモテのブログにノイズをまぜているようだが、逆にノイズ部分が私的な表現部分とはうまく切り分けができない。ま、そのあたりが、一気にmixiに流れるという可能性もあり、ま、比較するほどでもないが、私なんぞ、こちらは、mixiに流れてもなと思うことはある。
 しかし、そうもいかないのは、私的--公開性--ブログ--という背後に匿名の読み手の重さがあるからだろう。
 話が循環するが、それが現状では、ネタと祭というところに吸収されやすい。
 話はそれるが、今朝みたら、ココログでブログを本にしまっせという企画があった(進んでいた)。ノミネート段階だが(れいの暗いニュースは著作権でダメでしょ?)、ココログがなんとかブログというのを企画しようとしているようすが、滑稽とまではいえないものの、頭わりぃ感が漂う。もちろん、そうしたなかから、電車男のようなメディア的なヒットが出ることでブログの統制しやすいインセンティブにはなるのだろう。ま、ブロガーとしては、舐めてくれるよなではあるが、そうした企画があってもいいのかもしれない。
 っていうか、キムタケなどは最初からその気構えでいたのだが、コケてしまった。

日本のブログ文化の現状…

 というほど偉そうなことでないが…。
 話のネタと祭のネタということかな。
 と、すると、こういうシーンからできるだけ距離を置き、持久力を持つべきか…とか言って、取り残されていくのであった…ま、それもよし。
 っていうか、R30さんとこの話題の論争追跡ツールみたいな知的ツールがあれば面白いには面白いし、スイスの全民民主主義みたいなものかもしれないが、実際は、論争整理のツールというのはノイズが高すぎると機能しないだろう。かといって、要所の人物に底上げの加点をするというのも、なぁ、である。
 結局のところ、ある社会的な問題が投げられたとき、特定の人たちの人的な嗅覚のネットワークが重要になるという意味で、まさに隠れた村落的な連携になるのだろうか。もちろん、そうしたなかで山本のような花火も必要になるだろうか。
 というか、「ブログ」が話題になってしまって、そこで語られるべきなにかがまだ話題にならない。というか、それがれいの論壇的なブログということかもしれないのだが…。
 と、書きつつ、なんというか、市民サイドの定見というのが先の嗅覚的なネットワークとなると、かなりマスメディアはボディブローになるのではないか。
 2chがかなり善戦したし、あそこまでなのかなとは思う、というのは、どうしてもネタや祭に走らざるを得ない。
 話がずっこけるが、以前、essaさんだったか、大学で学びたかったのはこーゆーことというエントリを書かれていたが、今の高校生・大学生ならこのブログというツールを使うことで、可能性としては大学以上のことが学べるだろうなとは思う。

「Or Historical Choices of the Twenty-First Century」

ウォーラーステインを捨て去るための一冊。, 2004/08/21
(中略)
 善意を積み重ねた結果が最悪の状況を招く、というのは現実によくある事態なのに。さんざん歴史分析を重ねた結果出てくる話がこの程度なら、結局かれのやってきた学問ってまったく現実的意味がないんじゃないか。そう思わせられる残念な一冊。

 ふーん。昔と変わらないのか。
 ちなみに⇒yamagata hirooのレビュー、ウィッシュリスト、"リストマニア"リスト
 なるほど、すごいですね。うーむ、すごいですね。ほんとうにすごいです…うーむ。なんか脳に残便感のようなものが残るのはなぜなんだろう、皮肉ではないです。わかりやすく、評が的確すぎるからでしょうかね。

山形 朝日 Be 連載

自己責任コラムのときは、この欄始まって最大の反響があったというから、それはよかったと思ったら、ちがう! 対応に追われて大変だったのでこっちの苦労も察してほしい、だって。そうですか、反響のないあたりさわりのないのがよろしいんですか。そうきくと「いえいえそうではありません」って、もう責任逃れのお役所答弁以下のお答え。やる気一気になくなりました。連載を切られるときにも「山形さんの原稿は毎回楽しみだったのですがぁ残念です」と実に見え透いたことを嬉しそうにおっしゃる。

 この表出は山本の影響? いやいやお二人ともこういう強い自分があるのでしょうな。
 それにしても、朝日の唯一の希望の星がクリスマスの星が、消えてしまいました。

スマトラ島沖地震、死者1万1300人

 絶句するなあ。こんなにも人が死んでいいものだろうか、って、いいわけはない。どうしてこんなことが起こりえるのか。
 日本人死者も出たようだ⇒日本人観光客と見られる22人の遺体を確認

今日の新聞各紙社説は…

 特に目玉となる話題はない。
 インド洋沖地震の実態はまだわからないが、産経のように日本も他山の石とせよという議論をここで切り出すセンスがわからん。救済復興支援に日本も手を尽くせというべきではないか。
 朝日の大阪三セク批判はごもっともだが、批判されている側ではそう簡単な話でもない。というか、タメの批判が多いなと思う。
 読売の社説は、まさにこれが日本の情報の閉鎖性だなと、なんというか、感激すらする。

読売社説 [04回顧 世界]「長い戦いが続く『イラク』『テロ』」

 こんな話は嘘っぱちだと思うね。テロは極めて局所的。イラクは対米との関係はようするに新しい世界の前哨戦というだけで、イラク個別の問題は小さい。というか、イラク内政にローカライズできる。世界を見るに、アフリカになんの言及もない。EUにも、インド・中国・ブラジルといった国にも言及なしといった世界観でいいのか。