そういえば、日垣隆がイラクに行ったときの…

 その3。私は「取材=インタヴュー」というスタイルに根源的な疑念を抱くようになってしまった。仮にインタヴュアーが英語やアラビア語を完璧に駆使でき、または息の合った有能な通訳者を同行できたとして、数十人の米兵およびイラク人に何かを問い、詳しく返答を得られたとしても、それが何を示しているというのだろう。
 要するに私は、取材とは、文献を読み、歴史を知り、現地を体感し、内外の人々に問い、気づき、諸々の疑問を解き明かしていく一連の営為である、と考えるようになってしまったのである。


 別言すれば、取材は、相手の問題ではなく(インタヴューしてその返答を書き連ねる方法論は明らかに取材を「相手の問題」として捉えていることにな る)、「おのれの問題」ではないかと私は強烈に意識するようになっていたわけです。
 したがって、とりわけ不得手の分野や地域に関しては少なくとも、同行する多様な人々の耳目や、体験および職業の多彩さが、とても好ましいものとして作用することが大いに期待できそうな予感がしたのでした。

戦略的関係の深化を強調する中ロ

 こちらのほうがわかりやすい。

 ただ、大慶までの支線をつくるという案はまだ生きている。ロシア政府はパイプライン建設の環境・技術評価、東シベリアの油田開発への投資の可能性などをふまえ年内には最終結論を出すとみられるが、エネルギー問題をめぐり中ロ関係がぎくしゃくする可能性はある。

 ロシアがつねに十分な判断をするわけではないが、この動向は見ていく必要はある。

散人先生 忍者のアクセス制御ツール「ACカウンター」はブロッガーの強力な味方

 これはJavaScriptが前提ではなかったか。
 とすると、それを前提とするとなると、WWWなのか?という疑問も起きる。ま、このあたりはいい悪いということではないのだが、つまり、WWWのもつ理念性をどう考えるか。
 あと、あまり簡単には言えないし、散人先生がどうということではないのだが、本質的にブログというのは開かれているべきではないのかと思う。つまり、有効な反論は受け付けるのが理念であろう。ただ、ただのゴミとか無意味な攻撃には困ったものだが。

ジェノサイドの定義について

 ⇒Analysis: Defining genocide
 国連定義は現代世界的。
 原義は…

The term was coined in 1943 by the Jewish-Polish lawyer Raphael Lemkin who combined the Greek word "genos" (race or tribe) with the Latin word "cide" (to kill).

 つまり、Race(人種)またはtribe(種族)を殺す、根絶やしにすること。