3.VI. Judgment and the Authority Problem

 ここはキリスト教の伝統的な「最後の審判」解釈の訂正といってよいだろう。そもそも最後の審判を信じない日本人にとってはあまりピンとこない。が、問題は「最後の」というより、「審判」にあり、正義のためらな命を惜しまないみたいな日本教キリスト教の「最後の審判」と同機能であり、まあ、同じ轍と言っていいだろう。
 なんとなくだが、自分には日本教を訂正するAcimが問われているような感じもしないではない。