2.V. The Function of the Miracle Worker

 Acimのロジックとしては難しいわけではないが、自分が心底理解しているかというと、いろいろと難しい。この節は、基本的にワークブックの内容をまとめているようには思える。

Discomfort is aroused only to bring the need for correction into awareness.

 不快感は訂正を知覚するためにあるのだ、という。
 これはよくわかる。
 なかなか不快感は抜けないものだとも思う。
 話の文脈がずれるが、私がいわゆる左翼やリベラルが嫌いなのは、正義ツラをした不正に感じられるからだ。正義をもっているそぶりで他者をバッシングして喜々としている人間が不快でならない。
 ただ、そういう不快感をしだいにただ不快感として受け入れ、彼らに抗う気力はなくなった。結局のところ、そういう不快な人々を創作しているのは私だし、私も彼らにとって不快な人間でしかない。これは、箱でいう「共謀」と変わりない。
 私はいわゆる右翼にはあまり関心ない。またずるがしこい人々にも関心ない。こういうとなんだが愚かな人にも関心がない。石原慎太郎がバカなことを言ってもバカだなと思うだけで、それが公共域に出て来ないかぎり、関心が向かない。
 正義をふるって喜々としている人々も、それと同じではないか、しだいにそういうふうに変わってきた。
 自分の重心というか、そこが変わってきてたようにも思う。
 人々の関心に自分が関心をもたない。それは子供の頃からずっとそうで、ただ痛みを感じてもいたが、実態がそれで変わるわけでもない。
 まあ、そんなこんな。