まあなんつうか
批判ということはまるでない。ただ、まるで議論がわからん。
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なにがわからんかというと、例えば。
だとしたらなぜ気づかないのか。
法というのも、暴力なのだ、と。
法律の最終的な権力が暴力によって支えられているということなんだろうと思うが。
我々の子供たちが学ぶべきなのは、外の暴力から目をそらす事ではない。
いかに内なる暴力を内に止めておくか、なのである。
いや、そうではなくて。
法の最終的な権力が暴力になるということは、市民社会の合意であり、暴力が無規範にならないように法を合意している。つまり、法は、暴力を無規範な暴力たらしめないという合意。ほいで、それらはまさに合意の問題であって、個人の「内なる」問題ではない(個人が暴力を自覚し自制するという問題ではない)。
それと。
法律の最終的な権力が暴力であるとしても、たいていの事例ではそうならない。そうならないような市民の合意が働くから。というか、暴力を機能させないような迂回の知恵として法の合意が先行している。